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[オピニオン]創批の50年、白樂晴氏の文学と政治

[オピニオン]創批の50年、白樂晴氏の文学と政治

Posted November. 25, 2015 07:43,   

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韓国で、家の財産や知識において最も貴族的な左派を取り上げるなら、白樂晴(ベク・ナクチョン)氏だろう。白氏の父親の白鵬濟(ベク・ブンジェ)は、朝鮮総督府高官を歴任した人物であり、民族問題研究所の親日人名辞典にも名前が載っている。白鵬濟の兄は、白病院の設立者の白麟濟(ベク・インジェ)だ。ソウル市の朴元淳(パク・ウォンスン)市長が新市長公館にしようとしたが、議論の末撤回した北村(ブクチョン)の伝統家屋が、白麟濟が所有していた家屋だ。

◆白樂晴氏の明晰さは、学生時代から有名だった。京畿(キョンギ)高校3年生の時、米ニューヨーク世界高校生討論会に韓国代表として参加したことが、当時のメディアに報道された。1959年6月12日付の東亜(トンア)日報は、氏が米ブラウン大学英文学科をトップで卒業し、卒業生全体を代表して演説を行って韓国学生の優秀さを誇示したというニュースを、社会面のトップ記事で報じてている。氏は、ハーバード大学の博士課程に在籍中に帰国し、ソウル大学英文学科の教授に赴任した。

◆白氏は1966年、「創作と批評(創批)」を創刊した。創批(チャンビ)は、「文学と知性」と共に文芸誌の二つの柱となった。氏は分断をテーマにした文学を高く評価した。その背景理論として、韓国社会のあらゆる歪曲を招く原因は、ほかならぬ分断だという「分断矛盾論」を打ち出した。南北が激しい体制対決を繰り広げていた時は、分断矛盾論は一見、妥当かのように見える。しかし、共産主義が崩壊すると、分断矛盾論は道を失った。氏は新たに、「二重克服論」を打ち出した。分断を克服して統一に進むべきだが、統一は同時に資本主義体制を克服する二重の克服でなければならないという。

◆白氏と創批は、李明博(イ・ミョンバク)政権が発足すると、1987年の民主化後、進歩的な流れが断ち切られたとみて、積極的に現実への介入を開始した。BSE(狂牛病)を巡ってうそを並べ立て、天安(チョンアン)艦沈没事件は、北朝鮮の仕業ではないと言い張った。白氏の2013年の体制は、「二重克服論」流の統一に向かうための体制だ。氏は、円卓会議を通して統合進歩党の議会進出を支援した。白氏が今日、創批の編集者から引退する。50年間務めてきた創批を離れるのだ。氏の文学評論は素晴らしいかもしれないが、政治主張は欧米の無責任な極左派に他ならない。

宋平仁(ソン・ピョンイン)論説委員 pisong@donga.com