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[東京小考]洋上で「呉越同舟」を考える

Posted August. 06, 2015 07:24,   

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私はいま、洋上でこのコラムを書いている。船上では韓国語と日本語が飛び交って、何ともにぎやかなことだが、それもそのはず、乗客は福岡と釜山から乗りこんだ日韓550人ずつの計1100人で、老若男女が航海を楽しんでいる。昨日はロシアのウラジオストックに寄港し、これから北海道の小樽、そして原爆被災地の長崎などを訪れる10日間の旅だ。

 この船は日本のピースボート、韓国の環境財団という二つのNGOの共同運航で、その名も「ピース&グリーンボート」という。今年で8回目だが、日韓国交50年、戦後70年という節目を迎え、乗客は過去最多にのぼった。特に韓国からは企業の応援を得て若い学生や子供たちも大勢乗っており、旅を活気づけている。船上企画の講師として日韓双方から多くのゲストも招かれており、実は私もその一人なのだ。

 寄港先の各地では希望するツアーを選べるが、船上で繰り広げられるイベントも実に多彩だ。原爆や原発といった重いテーマの講座があれば、マジックショーやコンサートなどのエンタテーメント、そして子供たち向けにはゲームやプールもあって、飽きることがない。バーや居酒屋は深夜までにぎやかだ。

私はといえば、これまで東アジア共同体の可能性を考える戦後70年シンポジウムをはじめ、映画「江戸時代の朝鮮通信使」の鑑賞会、そして日中韓に行き交うカルチャーの企画にも参加して、何とかゲストの務めを果たした。

 この航海が始まったのは10年前のこと。平和をモットーに市民を乗せて30年以上も世界各地を訪ねてきたピースボートの伝統に、環境財団のチェ・ヨル代表が惚れ込んで共同企画を申し入れたのがきっかけだった。いくら日韓関係が悪くなり、首脳会談が途切れようとも、こちらはトラブルもなく続けてきた。

 昨年のセウォル号事件のあと、「人の命と安全に徹底的にこだわるこの船の価値を見直した」というのは環境財団のイ・ミギョン事務総長。「どちらの国でもない船上で、国の壁を超えて交じり合えるのは素晴らしい」とピースボートの吉岡達也代表は言う。

 船上での討論にもこの船らしさが表れている。例えば私の参加したシンポジウムでは、韓国側から日本の歴史認識を問う古典的な声があがる一方で、東アジア共同体をつくれるかどうかのカギは環境問題にこそあるという双方の意見が新鮮だった。まさにその通りだろう。環境汚染や放射能の恐怖には国境がないし、国内における地位や経済格差にも関係がない。いわば、環境の破壊こそ人類に共通の敵なのだ。

 呉越同舟という中国で生まれた言葉がある。本来の語源は、仲の悪い呉と越の国の者たちが船に乗り合わせたところ嵐にあい、沈没を防ごうと必死で協力しているうちに仲良くなった、という逸話だそうだ。とすれば、東アジアで隣り合う日韓こそ、ともに嵐と戦う宿命ではないか。

 さて、そこで思いだしたのは30年ほど前の船上討論のことだ。日韓の知識人らが関釜フェリーに集い、船上で議論するという両国テレビの画期的な企画。ところが国の枠を超えない議論にいらだった映画監督の大島渚氏(故人)が「バカヤロー」と口走ったことから、怒鳴り合いの混乱が演じられた。両国関係のとげとげしさを浮き彫りにした「バカヤロー事件」として、今も語り草になっている。

 実は、その船上討論を企画したのが、先月亡くなったシネテルソウル社長(当時)の全玉淑さんだった。豪放磊落に酒を飲み、文化・芸能界から政界の与野党まで幅広い人脈をもつ「女傑中の女傑」。私も長く親しくしてもらったが、日韓の絆づくりにあれほど熱心だった人もいない。予期せぬハプニングを招いたとはいえ、いまから30年も前に呉越同舟の企画を考えた先見性には感心するばかりだ。

とはいえ、いま日韓の1000人以上を乗せたこの船は、さらにその発想の先を行っている。果たして安倍晋三首相の戦後70年談話はどうなるか、日韓首脳会談はいつ行われるか。私は間もなく小樽で船を降りるが、そんな国家の心配をよそに和気あいあいの船旅はまだ続く。

(若宮啓文 日本国際交流センター・シニアフェロー 前朝日新聞主筆)