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[オピニオン]「横説竪説」95年の歴史

[オピニオン]「横説竪説」95年の歴史

Posted April. 01, 2015 07:12,   

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過去の文献で「横説竪説」という言葉は、高麗(コリョ)時代の文人、李穡(イ・セク)が鄭夢周(チョン・モンジュ)を評価した文に初めて出てくる。李穡は、「鄭夢周は、横で話しても竪で話しても常に道理に合っている(横説竪説無非当理)」と書いた。性理学で「横」は人が生きる現実を意味し、「堅」は過去から続く時間を意味する。鄭夢周は、現実と歴史を見通していたという最高の賛辞に違いない。

◆東亜(トンア)日報の「横説竪説」は、発行100号の1920年7月25日付で誕生した。1回目の横説竪説は、東亜日報が創刊以降、約3ヵ月間16回にわたって配布禁止になったことを受けて、「言論の自由が残酷にも踏みにじられている」とし、「横説竪説はこのような時に価値がある」と書いた。最後に、「今日は東亜日報100号記念という祝辞だけを述べ、横説竪説は我慢しよう。誰が喜ぶか知れないが」と締めくくっているのが興味深い。

◆横説竪説には、「話しに筋道がない」という意味もあるが、肯定的な意味にもしばしば使われた。朝鮮中期の学者、宋浚吉(ソン・ジュンギル)は、「人に分からせるために、直説したり遠まわしに言ったりすること」と言った。朝鮮末期の文集「蘇斎集」では、「多方面で論を説き、悟らせ理解させること」と言った。東亜日報は暗鬱な日帝治下で、横説竪説の意味を重義的に使用し、自由奔放な筆致と幅広い観点で現実を暴こうと努めた。

◆横説竪説の批判は辛らつだった。新設翌日の1920年7月26日には朝鮮総督府の地方自治制案に対して、「セミの抜け殻のようなものなら、漢方薬局にでもやれ」と言い放った。同年8月8日には、日帝が朝鮮人公務員を採用する計画を明らかにすると、その虚構性を指摘し、「政治を夜市の行商の営業術のように扱ってはならない」と指摘した。創刊95周年を迎える今日、横説竪説が開始当時の精神と気概を持っているのか深く反省する。新しい時代に相応しい洞察力で、現実と歴史に向き合うために再び気を引き締める。

洪賛植(ホン・チャンシク)首席論説委員 chansik@donga.com



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