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[オピニオン]「李承晩農地改革」 65年のスポットライト

[オピニオン]「李承晩農地改革」 65年のスポットライト

Posted March. 30, 2015 07:13,   

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1950年、金日成(キム・イルソン)主席は韓国侵略戦争を起こし、韓半島の赤化統一を確信した。軍事力が優位なだけでなく、38度線を下れば韓国農民が蜂起し、自分の側につくと信じた。しかし、実際に戦争が起こると、多くの韓国人が金日成主席を無視した。1945年の光復の直後に韓国で左翼が強かったことを考えると意外だった。

◆建国の大統領・李承晩(イ・スンマン)は1950年3月と4月、農地改革法の施行令と施行規則を相次いで公布し、農地改革を終えた。小作農だった約167万世帯が自作農に変身した。戦争が起こると、わずか2ヵ月前に終わった農地改革、は当時、韓国人の絶対多数だった農民に土地に対する主人意識を植えつけ、大韓民国体制に一体感を持たせる決定的な契機となった。

◆一部では、李承晩氏の「有償没収有償分配」よりも金日成主席のいわゆる「無償没収無償分配」の農地改革が成功的で進歩的だったと主張する。しかし、これは歴史的事実に反する。韓国の農地改革は地主の私有財産権を一部制限したが、基本的に「自由と市場の原理」を尊重した。韓国の農民は新たに得た農地に対する財産権を行使した。農地改革が韓半島の赤化を防ぎ、後日朴正熙(パク・チョンヒ)政府時代の産業化の基礎になった。一方、北朝鮮は農地改革の後、最高40%の現物税を課し、しばらくして農民の土地をすべて奪って国家に帰属させた。「地主の小作人」が「国家の小作人」に変わっただけだった。

◆来月は「李承晩農地改革」が完了して65年を迎える。今年は李氏の生誕140年であり他界して50年になる。李氏の誤りもあるが、南米、フィリピン、インドでは今でも少数特権である地主層の土地寡占による対立が深刻な現実であることを目にすると、農地改革の歴史的意味を新たに評価せざるを得ない。混沌の解放空間で雩南(ウナム)・李承晩が、海公(ヘゴン)・申翼熙(シン・イクヒ)、仁村(インチョン)・金性洙(キム・ソンス)などの指導者と共に共産主義に対抗して自由陣営の大韓民国を建国し、侵略から国を守った「建国と護国」の功績も同様だ。

権純活(クォン・スンファル)論説委員 shkwon@donga.com



shkwon@donga.com