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[東京小考]中東の無残と日韓の「平和」

Posted February. 12, 2015 09:31,   

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多くの人々の願いもむなしく、むごい結末が待っていた。「イスラム国」に捕えられた日本人の人質二人のことだ。あとから殺された後藤健二さんは、戦火の下で苦しむ庶民や子供たちを報道してきたジャーナリスト。せめて彼だけでも救おうと“I am Kenji”の声が世界で上がっていた。

事件が明るみに出たとき、私は11年前のことを思い出した。2004年4月、イラクで日本人3人が「イスラム戦士集団」と名乗るグループに捕えられ、覆面姿の男たちに銃を突き付けられた映像が送られてきたのだ。要求は「自衛隊を撤退させろ」。イラク復興の支援にと、サマワに派遣された自衛隊のことだった。

日本政府は応じなかったが、さて朝日新聞は社説でどう主張するか。論説主幹だった私にとって、これは難題だった。朝日はイラク戦争に大義がないと強く批判し、自衛隊の派遣にも危険性が高いと反対してきからだ。論説委員室では白熱の議論が続いたが、出した結論は「脅迫では撤退できない」だった。

読者の中からは「朝日新聞は裏切るのか」という批判も受けたが、こんな卑劣な手段に応じれば、テロリストの思う壺になる。ますます人質作戦が拡大して他国にも迷惑をかけかねない。まさに苦渋の決断だった。

間違っていたとは思わないが、もし人質が殺されれば、さぞ後味の悪い思いをしただろう。重い気分で1週間ほど安眠できない日が続いたが、幸い彼らは釈放された。何とも言えない安堵感を味わったことが忘れられない。

 ところが、今度の相手はずっとたちが悪かった。パレスチナやイスラムの国々からも「やくざ者」扱いされる非人道的な集団である。原点がキリスト教や近代主義の否定に加えて、かつて西欧諸国が中東に引いた国境線の否定にあるから、話は面倒だ。宗教や民族の対立に加えて、イスラム社会の混乱や希望のなさも彼らを戦闘に駆り立てる。憎悪の歴史は中世の十字軍にさかのぼり、彼らと戦う有志連合をこれに見立てて「日本も十字軍に加わった」と標的にしたのだ。

さて、それに比べれば、いまの東アジアは平和である。いや、北朝鮮は核やミサイルで脅威を振りまいているし、日本人拉致の問題も解決していない。日中だって日韓だって、もめごとばかりではないか。そう反論されそうだが、朝鮮戦争の休戦から60年もの間、この地域に戦争がないのは歴史的な事実だ。日本は第二次大戦の終結から70年、一度も戦火を交わしていない。

欧州でもコソボの戦乱があった。いま中東だけでなく、ウクライナとロシアの紛争を見ても、東アジアの平和維持は際立っている。それには様々な要因があろうが、何といっても激しい宗教対立がないのが大きいのではないか。

さて、そんな平和を象徴するように、今日12日から1400人もの日本全国の観光客が韓国に続々に入る。各地の旅行業界が日韓国交50年を記念する「日韓友好交流ツアー」を企画したのだ。2泊3日で、さまざまなプランが用意された。号令をかけたのは、全国旅行業協会長でもある自民党の二階俊博・総務会長だった。

日中友好派として有名な二階氏だが、韓国にも因縁がある。いまから500年余り前、豊臣秀吉が韓国に出兵した折、火縄銃の精鋭部隊を率いた日本の武将が「この戦いには大義がない」と反旗を翻し、後に帰化して金忠善という将軍になった。沙也可と呼ばれた彼にはいまも謎が多いが、その本拠地は和歌山だったとの説が有力で、そこはいま二階氏の選挙区だ。地元には金忠善将軍の記念碑も建ててある。

二階氏に会うと「隣り合う日韓で、国民の交流こそがいちばん大事。そう思って呼びかけたら、どんどん膨れ上がった」と笑っていた。いまだ首脳会談の見通しも立たられない両国政府への無言の批判であり、ご本人もソウルへやってくる。

それにしても、中東では想像もできない話ではないか。日韓はこの平和を大事にし、東アジアの平和の牽引力にならなければいけない。両首脳はいつまでも子供の喧嘩を続けるのでなく、「日韓を見よ」「東アジアを見よ」と世界にアピールするだけの歴史観と度量がほしい。

若宮啓文(日本国際交流センター・シニアフェロー、前朝日新聞主筆)