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シャルリー・エブド編集長の「隠された妻」

シャルリー・エブド編集長の「隠された妻」

Posted January. 16, 2015 07:12,   

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「シャルリー・エブド」へのテロ攻撃の第1のターゲットだった編集長のステファン・シャルボニエ氏(47)は2012年、ムハンマドのヌード風刺漫画を掲載した後、メディアのインタビューでこのように話した。「私は失うものがない。子どもも妻もいない。車もなく、クレジットカードもない。すこし格好つけるようだが、ひざまずくより立って死ぬことを選ぶ」。

しかし、彼には「隠された妻」がいた。シャルボニエ氏が亡くなった後、テレビに出演して、「私はここに元長官ではなく愛する男性を失った女性として出てきた」と述べた弁護士のジャネット・ブーグラ氏(42)だ。

思いがけない女性だった。シャルボニエ氏は共産主義者として、右派だったサルコジ政府(2007〜2012年)を猛批判してきた。一方、ブーグラ氏はサルコジ政府で青少年・市民社会大臣を務めた。そのうえ、アルジェリアのムスリム移民者の家庭の出だった。

ブーグラ氏の存在は、テロ襲撃を聞きつけて事件現場にかけつけ、泣き叫ぶ彼女の姿がメディアに捉えられてから注目された。ブーグラ氏は、2人が共に暮らして1年ほど経ったとし、「彼を愛する前から彼を尊敬していた。私が知るとおり、すべての通念に対抗する人だったので、愛するようになった」と堂々と明らかにした。

ブーグラ氏が無神論者でイスラム批判論者という点が2人を結びつけたようだ。ブーグラ氏は、「彼は世俗主義の擁護者であり、ボルテール精神の継承者だった。事実、シャルボニエ氏こそ、フランス共和国が忘れていた理想の真の具現者だ」とし、「私が大統領ならパンテオンに埋葬する」と述べた。パンテオンはフランスの国立墓地に当たる。

ブーグラ氏のこのような態度は、政派を越えた愛として注目された。しかし、シャルボニエ氏の遺族は10日、「これまでのように姿を現さないことを望む」とし、2人の関係を認めないとする声明を発表した。ブーグラ氏は、「私は傷つき敗北した。遺族の考えを受け入れ、私の存在を消し、シャルボニエ氏の葬儀に参列しない」としながらも、「彼らは、私の愛と最後の出会いの瞬間から私を排除した。そうすることで彼を2度殺したのだ」と付け加えた。