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[東京小考] 右傾化にブレーキかけた日本の総選挙

[東京小考] 右傾化にブレーキかけた日本の総選挙

Posted December. 18, 2014 03:06,   

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 14日に行われた日本の総選挙は、日本の右傾化にブレーキをかけた。私がそう書けば、多くの人が驚くかもしれない。選挙では与党が圧勝し、3分の2の議席を確保して安倍晋三首相の政権基盤が固まったではないか。首相の狙い通りであり、首相は憲法改正への意欲も語っている。中国や韓国に対する強気の姿勢に自信をもち、靖国参拝もまたやるかもしれない…と。

だが、私はそうは思わない。安倍政権が基盤を固めたのは間違いないが、首相はむしろ右に向けて突き進みにくくなった。その根拠を挙げる前に、2年前の話から始めよう。

 「石原慎太郎さんのおかげで、私がずいぶん穏やかに見えましたね」。2012年12月の総選挙のとき、党首討論を終えた自民党総裁の安倍晋三氏がこういって笑ったのを覚えている。東京都知事をやめた石原氏が大阪市長の橋下徹氏と手を結び、「維新の会」代表として総選挙に臨んでいた。尖閣諸島をめぐって激しく中国を批判し、憲法改正への熱望を語る石原氏。維新の会は橋下人気との相乗効果で54議席を得て、いきなり第3党に躍り出た。

 それから2年後。今月14日に行われた総選挙で石原氏は落選し、政界を引退した。すでに橋下氏とたもとを分かち、極右政党といえる「次世代の党」を結成していた彼は、82歳の高齢でもあり、今回は敢えて東京比例区の名簿の最下位で立候補。だから落選は予定のことだったが、彼の名前の威力もなく、比例区で当選者を一人も出せずに終わった。そればかりか、この党は19議席から2議席に激減し、壊滅的な打撃をこうむった。

 東京の小選挙区で立候補した新人の田母神俊雄氏も惨敗した。7年前、過去の侵略や植民地支配を美化する論文を書いて自衛隊の航空幕僚長を解任された人物だ。その後も右翼的な言論活動を展開し、今年は東京知事選にも出馬して話題になったが、石原氏の強い支援にもかかわらず、旋風は起こせなかった。

 もう一人、この党には核武装論や尖閣諸島をめぐる極端な言動で長く石原氏と手を組んできた西村慎吾という議員が大阪にいた。昨年は従軍慰安婦に関する品のない発言でひんしゅくを買ったが、彼も今回の選挙で姿を消した。慰安婦問題といえば、国会で「河野官房長官談話」を繰り返し批判していたこの党の山田宏氏も、東京で議席を失った。

野党の立場でありながら、強烈な改憲論や独自の歴史認識を主張する彼らの存在は、安倍首相にはありがたかったに違いない。自分が言えないような強烈な主張をしつつ、右傾化の先頭を走ってくれたからだ。そんな存在がほぼ消えた。

さて、彼らに代わって9議席から21議席へと大きく躍進したのは、安倍路線への批判票を集めた共産党だ。彼らは沖縄県でも議席を得たが、これを含めて沖縄県では4選挙区すべてで自民党が負けた。米軍基地の移転問題を抱えた特殊事情ではあるが、直前の県知事選の結果も合わせて、基地の移転がまた滞るに違いない。沖縄で米国に借りが増えれば、靖国参拝を繰り返して再

び米国を怒らせるのはますます困難だろう。

野党第一党の民主党は、党首の海江田万里氏が落選するありさまだったが、議席は少し挽回したほか、新年には新たな代表を選んで再出発する。少しは元気が出るのではないか。石原氏と別れて再出発した「維新の党」も安倍批判を強めている。

さて、与党を見れば、圧勝したとはいえ、議席を伸ばしたのは連立相手の公明党だった。彼らは憲法9条改正に慎重なほか、首相の歴史認識や靖国参拝にブレーキをかけている。その自覚は強まるだろう。

選挙でアベノミクスが信認を得たと、安倍首相は胸を張る。だが、その成否を決めるのは選挙でなく、経済の行方だ。日本経済はこれからが正念場で、下手をすれば深刻な危機を迎えかねない。強引な改憲への誘導やアジア外交で必要以上に波風を立てる余裕はないはずだ。

以上が私の見方である。戦後70年、日韓国交50周年という節目の年にあたる来年、韓国もいたずらに安倍警戒論を強めて冷風を吹かせるのは賢明ではない。

(若宮啓文 日本国際交流センター・シニアフェロー 前朝日新聞主筆)