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[オピニオン]オランダ国王の日本への「訓戒」

[オピニオン]オランダ国王の日本への「訓戒」

Posted November. 01, 2014 03:35,   

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オランダといえば、風車とチューリップ以外にも思い浮かぶものが多い。堤防の穴を全身で防いで国を救ったという童話の中の子どもから、哲学者のエラスムス、画家のレンブラント、ヴァン・ゴッホ、アンネ・フランク、ハイネケンビールまで。韓国の歴史にも、朝鮮時代に朴延(パク・ヨン)と呼ばれたウェルテフレーやハメルがいる。いずれも大洋を漂流した「さ迷えるオランダ人」だった。韓国のワールドカップ4強神話を作ったヒディンク監督も外せない。

◆ジャン・ラフ・オハーン氏も、記憶しておくべきオランダ人だ。オハーン氏は、オランダの植民地だったインドネシアのジャワ島で生まれたが、侵略してきた日本軍によって20才の若さで慰安婦収容所に連れて行かれた。2007年、米国議会で初めて開かれた日本軍慰安婦聴聞会でオハーン氏はこのように話した。「女性にとって初めての経験が持つ意味は大きいです。その初めての経験が性的暴行、それも軍慰安所での・・・。私の人生にどんな傷を残したのか、言葉では表現できません」。

◆日本を訪問中のオランダのウィレム・アレキサンダー国王が天皇陛下の前で、「オランダの民間人や兵士が捕虜となり、労働を強いられ、誇りを傷つけられた記憶が、多くの人々の生活に傷痕を残しました」とし、両国は誇らしい歴史も、辛い歴史もすべて継承しなければならないと強調した。日本軍が第2次世界大戦でインドネシアを占領し、オランダの人々に加えた苦痛について言及したのだ。中でも最大の苦痛を受けたのが、オハーン氏のような女性だろう。

◆400年前、日本に近代文明を伝えたオランダは、日本人にとって初の西洋人教師に違いない。オランダ国王の発言は、辛い過去はなかったことにするのではなく、正面から凝視して記憶する時、越えることができるという意味だ。アンネ・フランクは正確にはオランダ人ではない。ドイツの迫害を避けてオランダに来たが、ナチスに捕えられて犠牲になったユダヤ人家族の娘だった。ナチスに融和的だったオランダは、このことを大きな恥とする。恥を知るオランダから恥じを知らない日本への訓戒だ。

宋平仁(ソン・ピョンイン)論説委員pisong@donga.com