Go to contents

[オピニオン]韓国作家会議の40年

Posted September. 30, 2014 03:11,   

한국어

「冠村隨筆」の作家・李文九(イ・ムング、1941〜2003)は、1961年、ソラボル芸大(現在の中央大学)文芸創作科に入学した。趙世熙(チョ・セヒ)や朴常隆(バク・サンリュン)などの錚々たる新入生らをさしおいて、当時、教授だった小説家の金東里(キム・ドンリ)は、彼を、「韓国文学の稀なスタイリストになるだろう」と予見した。師匠の慧眼は優れたものだった。1966年に登壇した彼は、豊かな方言を駆使した語り部として、韓国文学界に聳え立つ峰となった。韓国戦争の時、南朝鮮労働党幹部の父親のせいで、ばらばらになった家や貧しい生活は、彼を窮乏で逼迫する人々の悲しみをいたわる文学の道に導いた。

◆イデオロギーのために分かれた韓国文壇の地形図で、彼は政治的見解を異にする文人らにも、くまなく尊敬される作家だ。純粋や参加文学とを問わず、文壇に広い繋がりを持っており、誰もしたがらないことを黙々と1人でこなす律儀な人生の態度に、保守と進歩との垣根を越えて共鳴したからだ。彼がこの世を去った時、両陣営を代表する複数の団体が力を合わせて、葬式を執り行った。文壇の半世紀史上、初めてのことだった。

◆彼は1974年、詩人・金芝河(キム・ジハ)釈放運動を媒介に結成された自由実戦文人協議会(自実)の主役の1人だ。1987年、自実を拡大再編した民族文学作家会議の理事長(1999年)も務めた。文壇の保守と進歩とを一つにまとめた李文九の空席が、改めて大きく感じられるこのごろだ。07年、再び名を改めた韓国作家会議が、創立40周年を迎え、昨日から、「作家会議通信」を始めた。毎週月曜日、ホームページに社会の話題についての作家らの考え方を、エッセイの形で掲載する計画だ。

◆強硬な独裁に抵抗していた「自実」から発展した作家会議は、近年に入り龍山(ヨンサン)惨事や双龍(サンヨン)車立てこもり、江汀(カンジョン)闘争、密陽(ミルヤン)送電タワー建設反対運動など、社会的話題を慌ただしく追いかけながら、声高に叫んだ。一部からは、政治的偏向を指摘されている。今年2月、李時英(イ・シヨン)理事長は、就任の挨拶で、「我々は、特定政府を支持する政治集団でもなく、だからといって、不義や民主主義の歴史的退行に目をつむって沈黙する無責任な団体では、なおさら無い」と明らかにした。不惑の年を迎えた作家会議が、どんな道に進むのか、注目を集めている。

高美錫(コ・ミソク)論説委員 mskoh119@donga.com