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[社説]黄祐呂長官の「英語絶対評価」は近視眼ではないか

[社説]黄祐呂長官の「英語絶対評価」は近視眼ではないか

Posted August. 29, 2014 03:51,   

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大学修学能力試験(修能)の英語科目が、現在の相対評価から絶対評価方式に変る予定だ。一昨日、黄祐呂(ファン・ウヨ)新教育部長官は、「大きな方向性は決まっている」と話し、何時導入するかの問題のみ残っていることを示唆した。導入時期は、現在の中学3年生が受ける2018学年度の修能試験からが有力視される。

今回の措置は、私教育費の軽減効果を狙ったものだ。朴槿恵(バク・グンへ)大統領は今年2月、「私教育費の3分の1を占める英語私教育の負担を大幅に減らすべきだ」と、教育部に指示した。絶対評価にすれば、修能の最高等級の1等級が付けられる生徒らが大幅に増えることになる。受験生らは、かつてのように、英語の勉強に多くの時間をかけなくても済むし、私教育費も減るだろう、というのが政府の判断だ。

しかし、この方針は近視眼的なものであり、実効性も疑わしい。入試で、英語の弁別力が落ちれば、国語や数学などの科目の私教育は、増えざるを得ない。漢陽大学が、高校生や保護者、教師など、1024人を対象にアンケートを行った結果、修能英語の絶対評価について、回答者の60%は、「私教育減少に役立たない」と答えた。修能は、1993年に導入されてから、これまで同じ枠組みを維持してきたが、今回の措置で、教育部は自ら、修能体制の根幹を揺るがした。大学入試の準備が急務の現場の高校では、英語授業の割合を減らしながら、数学や国語を集中的に教える可能性が高い。修能体制を変える必要があれば、全体的な枠組みに手をつけるべきであり、その場限りのことをすれば、副作用のみ膨らませることになる。

政府が、私教育費を減らすことさえできれば、何でもよいと考えるのは、さらに危険だ。ほかの修能科目まで、絶対評価にすれば、私教育費をより多く減らすことができるかもしれない。極端的な左派の主張通り、最初から大学入学試験を廃止すれば、大学進学のための私教育費は無くなるかもしれない。しかし、人的資源がほぼ唯一の資産の国で、エリート養成教育を諦めるのは、愚かなことだ。教育当局の一次的な任務は、生徒らの学力レベルを引き上げることであることを、忘れてはならない。グローバル時代に英語教育は無視してもよい対象では、決してない。政府は、今回の措置を撤回し、十分な時間をかけて、議論しなければならない。