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[オピニオン]9才の娘との約束

Posted August. 01, 2014 10:48,   

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中国春秋時代の儒学者、曽子の家で起きたことだ。妻が町へ行こうとしたところ、幼い息子が一緒に行きたいと駄々をこねた。妻は「お利口に待っていたら、帰ったら豚を殺してご馳走してあげるから」と子どもをあやして出かけた。妻が帰ると、曽子が本当に豚を殺そうとしていた。驚いた妻は、「ただ言っただけなのに、本当に殺してどうするの」と言った。すると曽子は、「子どもに嘘をついてはいけない」と手を横に振った。

◆古典に出てくる「曽子の豚」は、言葉の責任、約束の重要さを知らしめる古事だ。曽子よりも度量が大きな人物が、朝鮮時代中期にいた。王族で文臣の李景儉(イ・ギョンゴム)は、子どもに言った言葉を守るために、25間の家1軒を9才の娘に譲るという内容を書いた相続文書を作成した。後日、子どもたちの間で財産争いが起きるのを心配して、文書に「他の子どもたちは不平を言ってはならない」という条項に長男の署名までそえた。最近、韓国学中央研究院蔵書閣が翻訳して公開した「李景儉 夫婦 別給文記」(1596年)にある内容だ。

◆頑なな儒教社会で、息子をさしおいて幼い娘に家を譲った理由はこうだ。李景儉は「娘親バカの元祖」だったようだ。文禄・慶長の役で壊れた家の修理の監督に行く際、大事な一人娘を背負って連れて行った。その時、なにげなく「修理が終わればこの家をあげる」と冗談のように言った。その言葉を聞いた娘は、自分がこの家の主人だと人々に自慢した。単なる失言だとごまかすこともできたが、彼は父親として、士人として、自分の話に責任を持つことを選んだ。

◆立派な模範を見せた先祖と違って、21世紀の韓国人は責任を負えない言葉や約束を簡単に乱発する。韓国社会の底辺に不信と冷笑の重い空気が流れる理由だ。兪炳彦(ユ・ビョンオン)の死と関連して、国内最高の鑑識機関が科学的調査を経て発表した内容を否定し、「にせ遺体」という無責任な疑惑を広める人々がいる。政治家が常識に外れた言葉に明け暮れるのを見て、ボルテールの言葉が浮かぶ。「常識は、誰もが知っているありふれたものではない」。

高美錫(コ・ミソク)論説委員 mskoh119@donga.com