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「苦しみ分かる」 天安艦遺族20人が珍道へ

「苦しみ分かる」 天安艦遺族20人が珍道へ

Posted April. 30, 2014 05:52,   

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「心が痛むことは覚悟しています。ただ、彼らの心を誰よりもよく分かるので慎重になります」

4年前、哨戒艦「天安(チョンアン)」沈没で息子や夫を失った遺族のうち約20人が30日に全羅南道(チョルラナムド)の珍道(チンド)に向かう。4日間ボランティア活動をし、少しでもセウォル号沈没で家族を失った遺族の心の支えになるためだ。天安艦46勇士遺族協議会のイ・インオク会長(52)は、「セウォル号が沈没する時はただ驚いたが、その中に幼い生徒たちが乗っていることを聞いて驚愕した」と話した。

「船内にいる子どもを待つ親たちを見ると、自分たちの姿が思い出されます。何度珍道に行かなければならないと考えたことか…。しかし、4年前に感じた絶望が思い出され、慰めがかえって傷になるかも知れないと思い、行動に移すことができませんでした」。

自分の子どもが乗った船が沈没したという衝撃、船内に生存者がいるかも知れないという希望ゆえに苦しむ時間、遺体でも見つけることを望みながら耐えて待たなければならない苦しみ。イ会長は、以前に自分たちが経験した苦しみを同じように受けているセウォル号行方不明者の家族が頭に浮び、苦しかったと話した。

政府から、天安艦遺族協議会側にセウォル号行方不明者の家族とどのように意思疎通を取るべきか助言を求められた。このようなことから協議会側が珍道に行ってどのような役割をするのか関心が集まった。しかし協議会側は、「(軍人家族だった)天安艦と違ってセウォル号の乗客は背景が多様で、家族代表団も随時変わるなど状況が異なる」とし、ボランティアにだけ集中する考えを明らかにした。

30日に行くことにしたのも、時間が経ってボランティアの数が減っており、実質的な働き手が必要だという珍道郡庁側の要請によるものだ。ボランティアに参加する家族は進んで休暇を取った。掃除であれ洗濯であれ一般のボランティアと同様にボランティア申請をして仕事を割り当てられ、黙々とボランティア活動をし、行方不明者家族のそばにいる考えだ。

これまで協議会側は時折、老人療養院の清掃ボランティアや寄付をしてきた。4日にはソウル東大門区典農洞(トンデムンク・チョンノンドン)の「パプポナヌム運動」本部では、炊き出しのボランティアをした。同じ悲しみを共有する彼らのそばに行くには大きな決心が必要だった。ボランティア活動に行って、4年間抑えてきた心の傷を直視することになる恐怖もあった。しかし、どれほど大きな悲しみであるかが分かるため、そばにいたいという思いが強かったという。

「どのボランティア活動より大変になると覚悟しています。あの方々(行方不明者家族)の心を傷つけることなく、遠くからでも慰めることができればいい」。