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クリントン氏と「最高の相性」だった金大中氏、ブッシュとは衝突

クリントン氏と「最高の相性」だった金大中氏、ブッシュとは衝突

Posted April. 19, 2014 06:21,   

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60年以上の韓米同盟は、安保同盟を越えて21世紀の価値同盟を目指すほど堅固になったが、歴代の韓米首脳の関係が常に順調だったわけではない。対立が生じた主な要因は、北朝鮮観の相違だ。両国首脳が対北朝鮮政策で意気投合した時期もあったが、両者の息が合った時には一方が退任するということも多かった。「5年単任」(韓国)と「4年重任」(米国)という両国の大統領制の違いのためだ。

金泳三(キム・ヨンサム)大統領とクリントン大統領は1993年に任期を同時に開始した。最初は息がよく合っていると思われた。趣味も同じジョギングだった。1993年7月に訪韓したクリントン大統領が大統領府の境内で金泳三大統領と並んで走る姿は、韓米協力の象徴のように映った。しかし、北朝鮮の核危機と対北朝鮮打撃(surgical strike)シナリオ、続く米朝枠組み合意で韓国が疎外され、両者の関係はぎこちなくなった。1995年に起こった北朝鮮潜水艦の江陵(カンヌン)侵入事件の時は、憤った金泳三大統領が米国との事前協議も拒否して単独の軍事行動を強行しようとし、クリントン大統領から「韓米同盟の性格が変わったのか」と追及されるなど、問題が少なくなかった。

クリントン大統領は、金大中(キム・デジュン)大統領に礼を尽くし、平壌(ピョンヤン)訪問を相談するほど信頼が厚かった。しかし、その後就任した対北朝鮮強硬派のブッシュ大統領は、事ごとに韓国と衝突した。2001年の就任後初の韓米首脳会談の前に、金大統領がロシアのプーチン大統領と会って弾道ミサイル(ABM)条約を支持したことが、米国主導のミサイル防衛(MD)体制に反対したように映り、大きな波紋を呼んだ。ブッシュ大統領が記者会見で金大中大統領を「この人(this man)」と言い、話題となった。2000年の南北首脳会談で弾みをつけようとした韓国政府の南北関係構想は、2002年10月、ブッシュ政府が北朝鮮の高濃縮ウラン(HEU)計画疑惑を提起したことによる核危機で支障を来たした。

「盧武鉉(ノ・ムヒョン)とブッシュ」の相性も「歴代最悪に近かった」(アレクサンダー・バーシュボウ元駐韓米国大使)。米国が金正日(キム・ジョンイル)総書記を「ピグミー」と言い、北朝鮮を「暴政の前哨基地」、「ならずもの国家」と非難したため、太陽政策の継承者を自任した盧武鉉政府は困惑した。特に「反米でどうしたというのか」と言う盧大統領に対して、ライス国務長官とゲイツ国防長官が「予測不可能な人物」、「若干クレイジーな人物」と自叙伝に書くなど米国の評価は低かった。しかし、盧武鉉政府はブッシュ大統領の「テロとの戦い」に応えてザイトゥーン部隊をイラクに派兵し、米国と自由貿易協定(FTA)を結ぶなど、意義ある成果も出した。

李明博(イ・ミョンバク)大統領は初めてキャンプデービッド(米大統領別荘)に招待されるなどブッシュ大統領との親交を誇示したが、在任期間が1年しか重ならなかった。その後、哨戒艦「天安(チョンアン)」沈没、延坪島(ヨンピョンド)砲撃などで米国の積極的な協力を受けたが、これは首相の相性のおかげというよりも安保協力の性格が強かった。