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公約、韓国とドイツの違い

Posted April. 15, 2014 03:29,   

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新政治民主連合の安哲秀(アン・チョルス)代表の基礎選挙無公認の立場が揺らいでいる。与党セヌリ党が公認したにもかかわらず新政治連合は公認しない不公正なゲームになった場合、内部の反発がどれほど強くなるのかも、それを突破する力量を備えているのかも見通せない政治家なら、成長の可能性は疑わしい。そのうえ、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領に会うと言い大統領府を突然訪ねるとは、野党第1党の代表としてのアイデンティティも確立されていない。

にもかかわらず、安代表のドンキホーテ的な試みは、韓国の政界で約束の意味を考えさせる機会を与えた。安代表が語る新政治とは基礎選挙の無公認ではない。彼の新政治とは約束を守る政治のことをいう。基礎選挙の無公認は、すべての政党が約束したことであり、単にこれから実践しようという意味だった。小学生でも分かるこの簡単なことを大人が理解できないふりをして故意に歪曲した。

過去の新聞を見ればいい。基礎選挙の無公認は、公認の弊害を誰よりもよく知る市・道知事たちが提案したものだ。それをほぼ全てのメディアが支持し、大統領候補が受け入れ、公約に取り上げた。皆が約束し、簡単に実践されると思われた約束が、地方選挙が目前に近づくと手の平を返すように変わった。政界の恥だ。

セヌリ党の崔鍫煥(チェ・ギョンファン)院内代表は、基礎選挙の無公認は「悪い約束だ」と言った。彼のボスである朴大統領候補も含め皆が支持した基礎選挙の無公認が今になってなぜ悪いと言われるのか、私には理解できない。私たち皆が馬鹿だったのか。百歩譲ってそれが悪い約束だとしても、約束と履行の間に重要な事情変更がない限り、約束は守るのが正しい。それが、私たちが幼い頃から学んできた約束であり、私たちが子どもたちに教えなければならない約束の意味だ。約束を破るなら、その人ができる唯一のことは謝罪することだけだ。

基礎選挙無公認をめぐる状況は、セヌリ党が先に約束を破り、民主党も仕方なく従うというものだった。時にはセヌリ党が先に約束を破り、時には民主党が先に約束を破るという違いはあるが、いつも同様の形だ。このような状況に流されれば新政治と矛盾せざるを得ない安代表が原則を主張したため、メディアまで慣れて改めてテーマにすることもなかった古い政治の姿が再び浮き彫りになったにすぎない。

ドイツ社会民主党(SPD)は、州選挙に勝っても公約を守るために政権をあきらめたことがある。私が欧州特派員だった時のことなのでよく覚えている。2008年、SPDの南部ヘッセン州支部代表を務めたアンドレア・イプシランティ氏は、左派党との連立はないと公約し、州選挙で勝った。しかし、緑の党とだけの連立では政府を構成できず、左派党との連立を模索した。これに対してメッツガー議員などヘッセン州の4人のSPD議員が公約違反だとし、左派党との連立に反対した。そのため、SPDは選挙に勝っても議席数が足りず政府を構成できなかった。そして再選挙が行われ、ドイツキリスト教民主同盟(CDU)が勝利した。

政党の存在目的は政権に就くことだ。メッツガー議員らはSPD内で裏切り者の烙印を押された。彼らを助けたのはドイツの国民だった。ドイツ国民は、イプシランティ氏が左派党との連立を模索すると、SPDに対する支持を撤回し始めた。信頼が失墜したため、イプシランティ氏を支持した強硬派のクルト・ベック党首が辞任した。SPDは再び穏健派のフランツ・ミュンテフェーリングが支配した。それが今のジグマール・ガブリエル体制まで続く重要な契機になった。

政治家に約束を守らせるのは、どこであっても目覚めた国民だ。