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ハーグで見た韓国

Posted March. 26, 2014 03:33,   

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欧州には次のようなユーモアがあるという。警察官は英国人で、恋人はフランス人、料理人はイタリア人、機械を扱うのはドイツ人、この全体を調整するのがスイス人なら、欧州は天国になる。しかし、警察官がドイツ人で、恋人がスイス人、料理人が英国人、機械をフランス人が扱い、この全体をイタリア人が調整する場合、欧州は地獄になるというのだ。

駐オランダ韓国大使館関係者に聞いた話だ。欧州では誰もが共感するユーモアだという。北東アジアの長年の隣国、日中韓の国民を比較したユーモアも多い。3国の人がエイリアンに会った。中国人が尋ねた。「お前たちに歴史があるのか」。日本人が尋ねた。「お前たちに礼儀があるのか」。そして韓国人が尋ねた。「お前たちは韓国を知っているのか」。

ユーモアはユーモアにすぎない。しかし、オランダ・ハーグではこのユーモアが核心をつく。核安全保障サミットに出席した朴槿恵(パク・クンヘ)大統領を取材している記者は24日、時間を作ってハーグの李儁(イ・ジュン)烈士記念館を訪れた。

記念館は、李儁烈士がハーグに滞在した時に泊まったホテル、デ・ヨング(De Jong)の場所にある。2階の床は当時の木の床のままだ。140余り歳月が経ち、床は所々朽ちていた。48才の李儁は、そこを歩き、誰も知らない大韓帝国の無念を訴えるために夜も眠れなかったことだろう。

1905年の乙巳保護条約で外交権を失った大韓帝国は、形だけの国家だった。李儁は1907年、ハーグで44ヵ国の代表が集まって世界平和を話し合う第2回万国平和会議が開かれることを知り、高宗(コジョン)皇帝の特命でハーグに向かった。ソウルを発って65日後にハーグに到着した彼を迎えたのは、列強の冷遇だった。招待国リストの12番目に「コレ(Corée)」と明らかにあったが、日本の妨害で会議場の敷居をまたぐことすらできなかった。会議場の外で連日、乙巳保護条約の不当を訴えると、「平和会議報」は「祭り時の骸骨」というタイトルで李儁一行を報じた。

ハーグに来て19日後、李儁はホテルで死亡する。彼の死因はいまだにミステリーだ。病死でないことは確かだと、李儁烈士記念館のソン・チャンジュ館長は説明する。李儁は亡くなった後も不運だった。亡くなって53日後に、同行したイ・サンソルが102ドル75セントを出してやっと近隣の市立墓地に埋葬された。それから56年後の1963年10月に祖国に帰ってきた。

ソン館長は、今回の核安全保障サミットが「第3回万国平和会議」であると感激していた。皇帝の特使は会議場の外で骨になったが、彼が亡くなって107年後、大韓民国の朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は第3回万国平和会議で開幕演説を行った。

烈士の思いがこもったそこで、26日未明(韓国時間)韓日の首脳が顔を合わせた。その歴史的出会いに感激よりも悲しみが込み上げる。1世紀が経ったが、日本は変わっていない。韓国は2つに分かれた。李儁烈士が今も問うている。「お前たちは韓国の現実を知っているのか。そこが平和と思うのか」と。

ハーグにて

egija@donga.com