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米議会の「東海」併記法案可決、始まりは小学生の息子の言葉からだった

米議会の「東海」併記法案可決、始まりは小学生の息子の言葉からだった

Posted February. 08, 2014 08:11,   

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「これこそ、米国の民主主義だと思います。『子供らが学ぶ教科書に、偏見に満ちた情報がある。これを正すべきだ』という1人の市民の声がふたつになり、15万人の韓国人の声が集まって、今日の勝利を成し遂げました」

米バージニア州下院が6日(現地時間)午後、公立学校の教科書に、東海(トンへ)と日本海とを併記する法案を、賛成81対反対15という圧倒的票差で可決させた直後、リッチモンド議事堂の記者会見の会場から出てきたピーター・キム・「米州韓国人の声」会長(55、写真)は、全ての功労を、「米民主主義」や「15万人の韓国人」に回した。

しかし、今回の勝利のスタートとなった「1人の市民」は、ほかならぬ彼自身だった。2年前の12年1月26日。当時のデイビット・マースデン・バージニア州上院議員(民主)が提出した東海併記法案が、日本の反対ロビーで教育保健委員会で、賛成7対反対8で否決されたというニュースを耳にした彼は、小学校5年生になった息子に、質問を投げかけた。

「坊や、パパの祖国の韓国と隣国の日本との間の海を、なんと呼んでいる?」

「日本海(Sea of Japan)でしょう。学校からそう教えられてますから。教科書にそう書かれているよ」

その前までは、「他人の問題」だった東海併記が、ようやく自分のことととして近づいてきた。キム会長は1977年、18歳の時、両親と共に米国に渡ってきた在米韓国人1.5世だったが、東海は依然東海だった。12年3月、氏はホワイトハウスに、東海併記の請願を出すことで、遠い道程の最初の一歩を踏み出した。

「1人の市民」が歩を前に進めると、米国人らが道を教えてくれた。ホワイトハウスから案内を受けて、同年8月、連邦教育部長官宛に手紙を書いた。11月に返信をくれた次官補は、「教科書は、州政府の管轄であり、州教育長や議会のドアを叩くべきだ」と案内してくれた。

1人の保護者ではなく、複数の保護者の名前で、ことを進めるため、昨年1月、今の団体を立ち上げた。連邦教育部次官補の案内どおり、「保護者」資格で、教育委員会と議会の扉をたたき始めた。

「なぜ、韓国人らには、その海が東海なのかを説明しました。国際水路機関(IHO)が、日本海の単独表記を選んだ1929年は、日本が韓国を強制的に併合させた時期だと教えた。米国人らは、自分たちがよく知らないことを教えてくれたと、思ったより簡単に心を開きました」

成果も次々と出てきた。昨年7月は、ティム・ヒューゴ下院議員やリチャード・ブラック上院議員が、年内の法案上程を約束した。8月、メリルランド州アナランデル郡を皮切りに、メリルランドやバージニア州教育庁が、東海併記を指示する教師指針書をまとめ、管轄の公立小中高校に送った。

キム会長は、日本の組織的抵抗に備えて、日本のメディアとのインタビューをわざと避けてきた。しかし、法案が可決されたこの日、日本新聞社の記者からの質問を受け入れた。

その記者は、「あなたのアイデンティティは何だと思っているか」と尋ねた。キム会長は、「私は韓国系だが、軍に服務し、税金を納め、投票をする米国人だ。インディアンを除けば、全ての米国人は移民者であり、彼らは皆、平等であり、相互に尊敬する」と堂々と答えた。