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[オピニオン]軽くなった「烈士」の呼称

[オピニオン]軽くなった「烈士」の呼称

Posted January. 06, 2014 03:25,   

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「安重根(アン・ジュングン)義士は、どんな科の医師ですか?」。幼稚園に通っている息子の質問に、くすりと笑が出たことがある。義士や烈士は、法的用語ではないが、独立功労者に広く使われている尊称だ。国家報勲処によると、義士は、「成否とは関係なく、命を掛けて武力で敵に向かって旗揚げした人」だ。安重根や李奉昌(イ・ボンチャン)、尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が代表的だ。烈士は、「武力的行動の代わりに、強力な死を持って、精神的な抵抗意思を発現させた人」だ。李儁(イ・ジュン)や柳𨛗順(ユ・グァンスン)烈士が代表的だ。

◆日本植民地時代に殉国した先祖の烈士にだけ烈士という呼称が与えられたわけではない。自由党政権の独裁や不正選挙に立ち向かって、3.15義挙の当時、散華した金朱烈(キム・ジュヨル)烈士は、4.19革命の引き金となった。1970年、ソウル平和(ピョンファ)市場で、「労働基準法を遵守せよ」と叫んで焼身した全泰壹(チョン・テイル)烈士は、労働運動に火をつけた。1970、80年代の厳しい独裁政権下で、数え切れないほどの多くの夜を悩み、自分を体を投げかけた方々に、生き残った人たちは、憤りや追悼の意思を盛り込んで、進んで烈士という名をつけた。

◆民主化以降も、烈士は減らなかった。いつからか、デモ現場での焼身や自殺に、慣行的に烈士の称号がつき始めた。彼らが、普段どのような人生を生きてきたかはあまり重要ではなかった。死は絶対化され、大勢の人たちの憤りを引き出す闘争の突破口の役割をした。とんでもない烈士も出てきた。昨年6月、光化門(クァンファムン)広場の「民族民主烈士・犠牲者追悼会」には、韓国戦争当時のパルチザン、休戦後に韓国に送り込まれたスパイなどが大勢が含まれた。

◆昨年12月31日、ソウル駅前の高架道路上で焼身したイ・ナムジョン氏が、1日午前死亡した。民族民主烈士追悼団体や進歩連帯、イエス暮らしなどの団体は、「イ氏の焼身は、単なる自殺ではなく、朴槿恵(バク・グンへ)政権に抗ったものだ」と主張し、「民主闘士・イ・ジョンナム烈士の民主市民葬」と葬式を行い、光州北区望月洞(クァンジュ・ブクク・マンウォルドン)の民主烈士墓地に埋葬した。死に軽重があるはずはなく、残念な死だが、「烈士」という呼称には首を傾げたくなる。「市民」、「労働者」と呼べば、亡者を冒涜することになるのだろうか。烈士の重さがあまりにも軽くなった。

キム・ジェヨン社会部記者 redfoot@donga.com