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凱旋した秋信守、超大型契約までの13年を語る

凱旋した秋信守、超大型契約までの13年を語る

Posted December. 31, 2013 05:49,   

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「アリゾナ時間で夜の1時半だった。テキサスと契約を結んだという知らせだった。18歳で米国に渡って以来13年間の経験した全てのことが、走馬灯のように目の前に浮かんでは消えた。寝ていた妻を起こしては、一緒にほろっとした。また新たな野球人生が始まったのだ」

秋信守(チュ・シンス、32=テキサス)が凱旋した。昨シーズンにシンシアティでプレーし、20本塁打・20盗塁・100四球・100得点を同時に達成して自由契約選手(FA)の資格を得た。秋信守は、テキサスと7年間で総額1億3000万ドル(1379億ウォン)の超大型契約を結んだ。30日の午前、仁川(インチョン)国際空港から帰国した秋信守は同日、ソウル中区小公洞(チュング・ソゴンドン)に位置するロッテホテルのサファイアブルームで公式記者会見を開き、これまでの話を打ち明けた。

左腕投手に弱いという評価が一時期は、彼を苦しめた。左腕への恐怖というのは、技術的に解決できるものではないと話した。秋信守は、「ここまで来れたのに、そのことだけで一人前の選手になれないのは嫌だった。精神健康医学科の医師にも相談したし、左腕に強い打者のアドバイスも受けたが、効果はなかった。死球に当たることが多かった時期には、左手の動きを見るだけでも自分に向かってボールが飛んでくるように感じた」と告白した。

しかし、そうした苦しい時期に秋信守の心を引き締めさせたのは家族だった。秋信守は、「あの時、家族のことを考えた。ここで恐れて、退いてしまえば、家族は生活を失ってしまうと考えた」と語った。

感謝の気持ちと済まない気持ちとを同時に感じる人は、「内助の女王」ハ・ウォンミさんだ。ハさんは、2007年に肘の手術を受けた後、米国での生活を諦めようと思っていた秋信守を引き止めた。ハさんの内助に支えられ、秋信守は予定を2ヵ月も繰り上げてリハビリを終えて復帰することができた。秋信守は、「子ども3人を産むまで、いつも傍を見守ったが、妻は誰もがやっていた産後調整を一度もまともにしたことがない。そのことがいつも心残りだった」と話した。

18歳で野球だけを考えて米国に渡った彼にとって、孤独感は最大の敵だった。秋信守は、「社会生活の経験でも遅れていて、友達もない生活だったので、あまりにも孤独だった。だからこそマイナリーグの選手たちを理解することができる。もはや一定の地位を築くことができたので、そういう選手たちにも気を配るべきではないかと考えている」と話した。