Go to contents

世界中の独特な料理人が披露する人生レシピ

世界中の独特な料理人が披露する人生レシピ

Posted December. 28, 2013 06:00,   

한국어

数年前、ドイツの時事週刊誌シュピーゲル記者の著者とフリーランサー写真家のミルコ・タリエルチョは、ミュンヘンのあるレストランに座っておしゃべりをしていた。一時、自分がどれほど素敵な男だったかから始まったこの話は、ずば抜けた料理人へテーマが変わった。タリエルチョは旋盤工として働くため、イタリアからドイツへ来たが、ドイツ人が質の悪いイタリアの魚もよく食べる様子を見て料理人になることを決心した男の話を持ち出した。そして、映画「ゴッド・ファーザー」の撮影の時、料理をしたと言って、俳優のアル・パチーノと関連したほらを吹く自分の父親の話も付け加える。

同日のしゃべりを忘れられなかった著者は、「全ての料理人は本気でない」という確信を持つ。すぐ世界各国の「破格と野生の料理人」に会いにタリエルチョと旅立つ。2人はドイツだけでなく、米国、スペイン、ボスニア、ケニアなど11カ国で17人の料理人に会う。本は最高の話を聞かせてくれた料理人に捧げる感謝の印だという。

米テキサスでは死刑囚200人に死刑直前、最後の食事を作ってあげた料理人のブライアン・プライスに会う。現在、テキサスの平凡な食堂のコック長である彼は、義弟拉致や前妻強かん容疑でテキサス・ワルユニット刑務所で1989〜03年服役した。彼はピザ店でアルバイトをしたのが全てだったが、刑務所の厨房アシスタントとして働いていたとき、死刑囚の最後の食事を作ることになる。

プライスは1991年2月26日、殺人を犯した死刑囚の最後の食事を初めて作る。死刑囚はヒレ・ミニョン(骨のない牛肉の部位をベーコンで包んで焼いたステーキ)やパイナップル、ケーキ、コーヒー、フルーツを注文した。彼はヒレ・ミニョンの材料を買い求められなくて、平凡なステーキを作ってあげた。死刑囚は刑務所の神父を通じて、最後の食事がとても良かったと伝える。

死を控えている死刑囚が最も好む料理はステーキだった。しかし、1993年、刑務所の規定が変わって、最後の食事に使われる食材料は刑務所の厨房に保管されているものだけを使うようになった。当然、最後の食事の豊かさやロマンも消えた。りんご1個を要求した死刑囚は千切りされた缶詰のりんごを食べ、イセエビ10匹を頼んだ死刑囚は冷凍魚焼きを食べた。糞を要求した死刑囚にはヨーグルトが与えられた。

プライスは当時を人生で最も大変だった時期に覚えている。もともと死刑制に賛成だった彼は、「(死刑制の賛否に対して)答えにくい。ただ、彼らのみんなのために祈った」と話す。

世間を変えるために料理する人もいた。著者はドイツ人のバム・カートにデモ現場へ向かう列車の中で会う。バム・カートはデモ隊が掛け声や石で警察・軍人と立ち向かって戦う間、遠くない野戦炊事場で料理する。グリーンピース環境監視船のレインボーウォーリアー号で料理したりもした。「ご飯がないと、闘争もない」と話す彼の人生モットーはこうだ。「みんながフィデル・カストロになることはできません。芋の皮をむく人も必要です」

著者はインタビューの対象に「新しい料理の父」と選ばれる世界最高の料理人ポール・ボキューズとケニヤ・ナイロビのゴミ集荷場の料理人フェイス・ムトニーの中で1人を選ばなければならない時、ためらわずに後者を選ぶ。ムトニーは鉛と水銀まみれのゴミ集荷場で焚き火で料理するバラック食堂を開いた。ゴミの山から拾ってきたプラスチックの皿に料理を盛る。ご飯・豆・トウモロコシ粉の価格は20シーリング(300ウォン)だ。著者は、「彼女と子どもたちは毎日食べなければならない。料理は唯一確実なものであり、彼女の人生を決定するテーマだ。これ以上は話せない。実際、彼女の人生はそれほど言うことが多いわけではない」と書いた。

本の中には1食に40万ドルをもらう料理人、独裁者の専属料理人、闘牛の尾の料理人も出て興味深い話を聞かせてくれる。料理人のレシピも収録されている。原題はTeufelskoche(悪魔の料理人たち、2011年)。