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「韓国で受けた愛を返したいと思い、帰化申請は1秒も迷わなかった」

「韓国で受けた愛を返したいと思い、帰化申請は1秒も迷わなかった」

Posted October. 15, 2013 03:21,   

한국어

9日、京畿道高陽市(キョンギド・コヤンシ)のオウリムヌリ・アイスリンク。顔を合わせたとたん、韓国語で自己紹介をした。「私はブライアン・ヤングです。故郷はカナダで、ハイワンアイスホッケー選手として、4年間活動しています」。

今年3月、アイスホッケー安養漢拏(アンヤン・ハンラ)のブロック・ラダンスキー(30、カナダ)は、法務部の特別帰化対象者に選ばれ、韓国人となった。そして、韓国スポーツ史上初めて、「青い目」の代表選手となった。

しかし当時、ラダンスキーと一緒に複数国籍対象者として、大韓体育会議の審議を受けていたブライアン・ヤング(27、カナダ)は、最後まで推薦を受けることができず、残念がるしかなかった。

しかし、ヤングはいまや従弟であり、チームの同僚でもあるマイケル・スイフト(26、カナダ)と一緒に、再び帰化を進めている。来月、大韓体育会議・複数国籍対象者の審査を受ける計画だ。韓国アイスホッケーは、2018年の平昌(ピョンチャン)冬季五輪の出場権を確保していない。ラダンスキーが加わることで、戦力は強化されたが、ヤングとスイフトの帰化が切実なのが現状だ。今の戦力なら、冬季五輪最高の花形種目であるアイスホッケーに、韓国代表チームが出場できなくなるかもしれない。身長186センチで体格のよいヤングは、安定的な守りが強みであり、2シーズン、アジアリーグの得点王についたスイフトは、攻めに大きく役立つものと見られる。

それぞれ、4年間と3年間、韓国で暮らしているヤングとスイフトは、多くの韓国語を聞き取ることができる。ユニフォームに書かれた韓国語も、正確な発音で読んだ。チームの同僚らは、「容姿のみ外国人であり、生活や考え方は、韓国人と同じだ」と笑った。

北米アイスホッケーリーグ(NHL)などで活躍していた彼らは、今も、ヨーロッパリーグで活躍できるほどの実力派だ。なぜ、韓国に帰化しようとしてるのか。ヤングは、「金のためなら、欧州で活動したほうが増しだ。しかし今は、韓国で選手生活を終えたいほど、韓国が好きになった」と話した。スイフトも、「帰化の提案を受け、1秒の迷いも無かった。多くの韓国人から受けてきた愛を、再び韓国に返したいと思って、帰化という大事な決定を簡単に下すことができた」と明らかにした。

試合のない日は、個人教師から韓国語を学び、博物館を歩き回りながら、韓国文化について勉強している彼らは、帰化後の計画まで立てている。ヤングは、「引退後は韓国で、妻と一緒に暮らしながら、韓国ホッケーの発展のため、何ができるか探したいと思う」と話した。スイフトは、子供のホッケー教室を運営する計画だ。

同日のインタビューは英語で行われた。彼らは、記者に一つの提案をした。「今度は韓国語でインタビューしたいと思います。その時は、私も韓国人になっているかも知れませんから。絶対そうなるよう、がんばりたいと思います」。