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盗んだ仏像は返すべきだ

Posted October. 09, 2013 05:55,   

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釜山(プサン)からわずか50キロ離れた対馬は、我々には二つの顔を持っている。わが国の各地の海岸に頻繁に出没した倭寇の本拠地としての姿がその一つだ。倭寇は、主に、この島を出発して南海岸一帯はもちろん、忠清道(チュンチョンド)、京畿道(キョンギド)、平安道(ピョンアンド)にまで入り込んで略奪していたことが記録されている。一方で、地理的な利点を活かして、韓国と日本の間で交易を仲介して場所でもある。壬辰倭乱(文禄の役)以降、韓国と日本の交流が途絶えたとき、対馬は積極的に仲介役を買って朝鮮通信使派遣に重要な役割を果たした。

この島の寺院と神社に保存されていた仏像2点を国内の窃盗団が昨年10月、釜山(プサン)港を通じて国内に持ち込もうとして波紋を広げている。なかでも観音菩薩像は忠清南道瑞山(チュンチョンナムド・ソサン)の浮石(プソク)寺で1330年に奉安されたことが明らかになった。仏像は窃盗団が盗んだもう一つの仏像「金銅如来立像」と一緒に押収され、現在文化財庁が保管している。文化財庁は、ユネスコ協定に基づいて、日本に返す動きを見せたが、浮石寺側が「我々に所有権がある」として裁判所に出した仮処分申請が受け入れられ、いったんは処理を見合わせている状況だ。

韓国は数多くの文化財を奪われた痛い歴史的経験を持っている。主に朝鮮王朝末期と日本帝国主義の強占期に海外に持ち出された文化財は15万点に上ると集計されているが、実際にはもっと多いだろう。政府統計によると、そのうちの6.5%に当たる9751点だけを国内に持ち返している。

持ち出された我々の文化財には、それぞれ様々な経緯がある。略奪もしくは違法に搬出された文化財が多数を占めているが、外交や通商レベルで我々が送ったもの、外国人が合法的に購入して持ち帰ったものも含まれている。高麗(コリョ)時代には、外国から仏画制作の注文が相次いだ。高麗青磁の輸出も活発に行われた。朝鮮時代には大蔵経を送って欲しいという要請が、日本からだけで65回に及んでおり、45式を送ったという記録も残っている。

我々が回収のために力を入れるべきなのは、違法に流出された文化財だ。しかし、今回の事件で加害者と被害者は曖昧に入り乱れている。14世紀に倭寇が浮石寺に乗り込んで仏像を略奪したものなら被害者は我々になる。だが、窃盗犯が対馬から仏像を盗んだことだけを見ると、被害者は対馬のお寺と神社だ。

違法文化財を扱うための国際基準としては、1970年にユネスコが作った協定と1995年のユニドロワ(UNIDROIT)条約がある。韓国と日本が同時に加入している条約はユネスコ協定だ。同協定は、違法な方法で得た文化財は返すことを原則とし、善意で取得した文化財は保護するという内容を盛り込んでいる。被害者であり続けた我々には不満足な原則だが、今までは普遍的なルールなのだ。

浮石寺に奉安して以来、700年近い歳月が過ぎた今、この仏像が違法に日本に流出されたことを照明するのは容易でないのが現実だ。対馬が倭寇の本拠地だったことから違法に取得した可能性が高いと見られるが、韓日交流が対馬を通じて頻繁に行われていたことを考えると、別の可能性を排除するのも難しい。今までのところ、明らかなことは韓国の窃盗犯が対馬から盗んできたことだ。

仏像盗難のことが知られ、韓国国内で返還に反対する声があるという話が持ち上がると、2015年に韓国と日本の国立博物館で開催する予定だった百済(ペクジェ)特別展に待ったがかかった。韓国国立中央博物館側の展示会はキャンセルされ、日本九州国立博物館では最初の計画より規模を縮小して開催するという。日本の所蔵者たちが、百済異物を展示会に出すのを嫌っているためだという。

略奪文化財を返してもらうためには長い歳月がかかる。我々は返してもらわなければならない文化財が多い国だ。これまで回収した文化財は56%が寄贈の形で帰された。政府の交渉よりは、海外の所蔵者たちの心を動かすことが重要だ。違法に国内に持ち込まれた対馬仏像は、国際基準に沿って返すべきだ。

この問題は、最近の韓国と日本の間で起きている摩擦とは区別して扱うべきだ。昨年の我々の文化コンテンツ輸出は52億ドル(約5兆4000億ウォン)に上る。流出された文化財の回収は、多くの国が関連している課題だ。文化輸出国に相応しい姿勢を見せる必要がある。我々が、今回の事件をどう扱うのか、外国は注視している。