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日本の右翼が村山謝罪に反発して建てた「侵略の塔」

日本の右翼が村山謝罪に反発して建てた「侵略の塔」

Posted September. 17, 2013 04:17,   

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日本の右翼勢力が、第2次世界大戦終戦50周年を迎えた1995年、碑石を建てる運動を行ない、内閣と議会の歴史への反省を覆そうとした。

当時、衆議院は、「我が国が過去に行った行為や他国民、特にアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」という決議案を発表した。村山富市首相も、植民支配と侵略を謝罪する談話を出した。

危機感をもった日本の右翼は反撃の機会を探した。石川県金沢市の右翼団体「日本をまもる会」もそうだった。同会は、衆議院決議を「亡国の謝罪」とし、「亡国状態に対する反撃は、千の言葉より大碑の建設で対抗しなければならない」と主張した。

その後、全国的な募金運動を行なって1億円(約11億ウォン)を集め、2000年8月4日、金沢市内の中心に大きな碑石を建てた。「大東亜聖戦大碑」だ。

12日、この碑石が建てられた本多の森公園を訪れた。碑石は横4メートル、高さ12メートルで、バスから降りると一目で分かるほど大きかった。正面上部には日の丸(日章旗)の形の赤い円があり、その下に大東亜聖戦大碑と記されていた。侵略戦争を美化した「聖戦」という言葉が碑石の正面に鮮明に刻まれていた。

碑石の背面には「八紘為宇」という文字が記されていた。全世界を天皇の下一つの家族にするという意味だ。宮崎県宮崎市にある「八紘一宇の塔」に刻まれた文字と同じだ。日本はこのスローガンを掲げてアジア侵略を行なった。

観光客はそれほど多くなかった。1時間の間にサングラスをかけた20代の男性、赤ん坊を抱いた夫婦、70代の老人が立ち寄っただけだった。70代の老人に碑石の意味を尋ねたところ、意外にも丁寧に答えてくれた。

「徹底して右翼の論理を代弁する塔だ。『大東亜戦争』という名前が右翼の見解を含んでいる。それを『聖戦』と言い、アジア侵略を正しいと考えているのだ」。

日本は1941年末にアジア侵略を始め、「西洋の植民支配から解放されるには、日本を中心に大東亜共栄圏を結成しなければならない」と主張した。大東亜戦争という言葉には、侵略戦争でなく植民地解放戦争という考えが含まれている。

この老人は、「15年前に募金運動が始まった時、私も寄付した。しかし、露骨に日本の侵略戦争を美化する塔が建てられるとは思わなかった」と話した。「韓国から来た」と言うと、「韓国には本当に申し訳ない塔だ」と言った。

碑石の基壇には、寄付をした個人646人と275の団体の名前が刻まれていた。当時5万円寄付すると名前が刻まれた。よく見ると9人の韓国人の名前もあった。団体名には、朴東薫、金尚弼、崔貞根、卓庚絃、李王根の5人が含まれていた。個人には韓鼎実、李賢載、李允範、都鳳龍の4人の名前が刻まれていた。

碑石建設に中心的役割をした大東亜聖戦大碑護持会(旧「日本をまもる会」)に連絡したが、インタビューに応じなかった。その代わり、碑石の撤去を求める市民団体に所属する山口隆氏に会った。山口氏は、「右翼が碑石を作って朝鮮人も大東亜戦争に賛成していたと宣伝するために無断で名前を入れた」と説明した。そして、「一部連絡がついた遺族は、名前が刻まれた事実を全く知らなかった。遺族が訴訟を検討したが、費用などの問題であきらめた」と付け加えた。

大東亜聖戦大碑のすぐそばには、もう一つ長方形の碑石がある。大東亜聖戦大碑には太平洋戦争についての詳しい説明がないため、一般の人々が碑石の意味を把握できないという指摘を受け、2010年8月4日に建てられたものだ。

碑石には、「日本は決して軍国主義や植民支配をしなかった。(むしろ)解放させた歴史がある。天命による戦争という真実を知らなければならない

」という内容が記されていた。

この公園で、毎年8月4日に聖戦記念式が行なわれる。毎年記念式を行ない、歪曲された歴史を伝える現場だ。山口氏は、「日本が右傾化し次第に大東亜戦争をアジア解放戦争と見る人々が増えているのが残念だ」と嘆いた。