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「ベトナムのホームレスの子供らの父親になる」 「青年一家賞」の受賞者パム氏

「ベトナムのホームレスの子供らの父親になる」 「青年一家賞」の受賞者パム氏

Posted September. 10, 2013 03:39,   

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「父親の国・韓国と母親の国・ベトナムとがより身近になるなんて、嬉しくて胸がどきどきします。朴槿恵(パク・グンへ)大統領の国賓訪問で、韓国とベトナムとが経済的交流、それ以上の関係へと進むことを願います」

7日、ソウル中区(チュング)農協中央本部の大講堂で行われた「第23回一家賞・第5回青年一家賞」の授賞式で記者に会ったジミー・パム(ムン・ヨンチョル、41)氏は、とても胸がわくわくしているように見えた。同日パム氏は、「青年一家賞」の受賞のため、短い日程で韓国を訪れた。「一家賞」とは、カナン農民学校の創設者であり、農村の発展に生涯を捧げてきた一家・金容基(キム・ヨンギ)先生(1909〜1988)の意志を称えるために、一家財団が1991年から毎年、アジア地域の発展に貢献した個人や団体を探して授与する国際賞だ。

パム氏はその功労が認められ、8日、ベトナムを訪問している朴大統領が、ハノイのグランドプラザホテルで主催する韓ベトナム経済協力晩餐懇談会にも招かれた。パム氏は現在、ベトナムで「コト(KOTO)」というレストランや教育センターを経営している。サンドイッチやパスタで有名なこのレストランがもっと特別な理由は、ここがベトナム初の「社会的企業」であることだ。収益創出が目的ではなく、雇用創出がその目的となっている。

パム氏は両親から捨てられたり、ホームレスとなっている子供らに、バーテンダーや料理、サービス教育を、センターで2年間実施後、彼らを雇うことで雇用を提供している。この14年間、このような形で就職した子供らは計700人余りに達し、その中には、ハノイやホーチミンの大手ホテルやレストランに就職した子供も多くいる。パム氏の父親は、1960年代後半、ビジネスのためベトナムに来て、彼の母親と出会い彼を産んだ。父親は彼が8歳の時韓国に戻り、母親は、パム氏と姉など、残された家族を連れて、オーストラリアに移民した。父親はパム氏が23歳だった1995年、ビジネスのために訪れたサウジアラビアで死亡した。パム氏は、葬式での遺影で父親と再会した。

「葬儀場で、父親がどんな人だったが、多くのことを聞かされました。我々の傍を離れていったものの、大変懐かしがっていたと聞きました」

インタビューの大半を英語で語ったが、「父親」という言葉だけは、はっきりと韓国語で表現した。観光学を専攻したパム氏は、父親の葬式が終わってから1ヵ月後、ベトナムの観光会社に就職した。ホーチミン市の街角でココナッツを売っている10代の子供らをたまたま目にし、かわいそうな気がした。子供らが背負っている背負子は、大人の自分が背負うのもきついほどだった。16時間以上働いても、きちんと食べることのできない子供らに、最初は夕食をご馳走した。これがうわさとなり、わずか数週間で、街中をさまよう若者60人が集まったこともある。直ちに会社を辞め、4年間準備した末、自分の金200ドルをシードマネーとして、「コト」を立ち上げた。

パム氏の夢は、韓国でも「コト」を開くことだ。「韓国は、ベトナムとは状況が違って、孤児は少ないと聞いています。しかし、心のさびしい子供らは、きっといるはずです。その子供らと自分のできることが、必ずあるはずだと思います」。