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「ディス」が日常になる時

Posted September. 05, 2013 06:38,   

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些細な暴言なら問題にならないほど韓国社会は暴言に慣れつつあるようだ。ケーブルテレビのバラエティ番組での「悪口バトル」がインターネットを通じて広まるのを目にして、部屋でするPCゲームがスポーツになったように、暴言、悪口も好戦性と精妙さを競う「公式スポーツ」になる日が来るのではないか、と考えたりもした。

最近、ネットを沸かせ、ネットユーザーの新しい遊び道具に浮上した若いラッパーの「ディスバトル」を見ると、その日はすでに目前に近づいているようだ。「欠礼」という意味の英語「disrespect」の略語である「ディス(Diss)」は、相手の過ちをラップにして攻撃し、公に恥をかかせるヒップホップ文化だ。

今では国際スターになった歌手PSY(サイ)が、2010年に出したラップソング「サックン」にも荒っぽい内容が少なくなかった。しかし、「一握りの灰、物議をかもして申し訳なく、どうしようか、悪口くらっても仕方ない」という内容から、PSYの「ディス」る対象は大麻を吸って、兵役法に違反した過去の愚かな自分だった。同じ領域の仲間を攻撃対象にして暴言が飛び交う最近のディスバトルとは明確に異なる。

韓国社会の暴言の主産地である政界でも、これに劣らないディスバトルが続いている。先月初め、野党民主党の朴映宣(パク・ヨンソン)議員は、西海(ソヘ、黄海)上の北方限界線(NLL)問題をめぐって国会での質疑応答中、南在俊(ナム・ジェジュン)国家情報院長に、「あれ、あれ」、「なぜにらむのか」と言って物議をかもした。民主党側は「『あれ、あれ』は人ではなく、答弁態度に対する言葉で、南院長が実際に朴議員をにらんだ」と説明した。しかし、朴議員は前にも与党セヌリ党議員に向かって、「(お前は)人間なのか?人間?私は人間扱いしない」と発言して問題になったことがあり、好意的に理解することはできない。

先月初めにセヌリ党副報道担当に内定した人物が、以前にソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)での暴言が問題になって辞退した。昨年3月、韓明淑(ハン・ミョンスク)元国務首相、野党統合進歩党の李正姫(イ・ジョンヒ)代表、さらに朴槿惠(パク・クンヘ)大統領の名前まで挙げて、「女がしゃしゃり出ると国が滅びる」と言ったことが問題となった。最近、セヌリ党は、2030世代を対象に賞金までかけて「セヌリ党をディスれ!暴言悪口大歓迎」という異色の公募展を開いた。

悪口や暴言を吐き出す人はカタルシスを感じるかも知れないが、言われる人や周囲のストレス総量は増加する。廃水を排出する工場を建てて金を儲ける人がいる時、そのほかの人は環境汚染で苦しむことになる「外部非経済」効果と同じだ。社会全体の精神的外部非経済を誘発するのが、まさに悪口であり暴言だ。

ディスがゲームになり、暴言が日常化する社会で、暴言の「才能」がなく一方的にストレスに耐えなければならない人はどう対処すればいいのか。この問題を考えて、以前、外国雑誌で読んだ内容から私なりの答えを見つけた。内容はこうだ。

1970年代のある日、英ロンドン市内を往来するバスの中、礼儀正しい中年男性が座っていた。停留場で車が止まり、金髪の若い女性がバスに乗ってきて男性のそばに立った。男性は立ち上がり手招きで席を譲った。しかし、全く予想外の反応が返ってきた。「私は自分の足でいくらでも立てます。私が女性(lady)だからという理由で席を譲る必要は全くありません」と言ったのだ。その女性は当時西欧社会を風靡(ふうび)したフェミニストだった。

当惑して気分を害しても仕方がない状況で、その中年男性は低い声で余裕を持って答えた。「あなたが女性だからではなく、私が紳士(gentleman)なので席を譲るのです」。私たちの周囲に横行する暴言と「ディス」に怒りが込み上げ、さらに激しい暴言で対応したい時、皆が思い出してほしい話だ。