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すべての家に365日太極旗がはためく島村

すべての家に365日太極旗がはためく島村

Posted August. 14, 2013 03:14,   

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全羅南道莞島郡(チョンラナムド・ワンドグン)の莞島から船で1時間の距離にある所安島(ソアンド)。「光復節」(植民地支配から解放された日、15日)2日前の13日、島全体は「太極旗の波」と化した。船着き場の所安港から村役場への道路や村々に太極旗がなびいた。所安抗日運動記念公園に建てられた高さ25メートルの国旗掲揚台にも太極旗が力強くはためいた。公園に集まった住民や陸から来た子どもたちも太極旗を持っていた。彼らは大極旗を振って「万歳」を叫び、68年前の「光復」の意味を再確認した。

莞島郡は同日、365日ずっと太極旗がはためく所安島を伝える行事を行った。キム・ジョンシク郡首は、「烈士の熱い祖国愛が連綿と受け継がれた抗日の地ではためく太極旗が全国津々浦々波のように広がっていくことを願う」と述べた。家々に年中国旗が掲げられる「太極旗の村」は、昨年8月14日に初めて誕生した。島の15の村、1361世帯が毎日太極旗を掲揚した。太極旗と掲揚台、無窮花(ムグンファ)模様の国旗棒は、住民が村の基金で作った。各家庭で約6万ウォンの費用がかかるが、自治団体の支援は受けなかった。ただ風が強くて太極旗が2、3ヵ月で破れるため、交換費用は郡が負担している。

所安島は、日本の植民地支配期に独立闘争の拠点だった。これまで20人の建国勲章受勲者を輩出し、全国の面で最も多くの独立有功者を出している。独立運動をして投獄された住民がいれば、残った住民は彼らのことを考えて真冬も布団を使わないほど義理深かった。所安抗日運動記念事業会のファン・ヨンウ会長は、「所安島が『抗日の聖地』であることを伝えるために、住民が太極旗の島にしようというアイディアを出した。事業会は無窮花献樹運動を行い、島の各所に木を植えて無窮花園も作った」と話した。

所安島は、全羅南道木浦(モクポ)から済州(チェジュ)に行く途中にあり、島の人々が早くから外部世界に目を開いた。1900年代に書堂と夜学を建てて教育を始め、先覚者が多かった。反日秘密結社団体「守義為親契」、ペダル青年会などを作り、組織的な抗日運動を行った。1905年、東学軍に同調したイ・ジュンハ烈士は、日本人が建てた唐寺島(タンサド)の灯台に忍び込んで日本人4人を殺害し、独立闘争の火をつけた。1920年代には、約6000人の住民のうち800人以上が「不逞鮮人」の烙印を押され、監視と統制を受けた。1923年に設立された私立所安学校は、日本の祝日を守らず、日章旗を掲げないなど、抵抗精神を教える「抗日の産室」だった。シム・マンソプ所安面長は、「毎年、唐寺島灯台襲撃事件を再現し、全国抗日学生文芸白日場大会を開くなど、2004年から『抗日』を素材にした祭りを行なっている」と語った。