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靖国神社の2つの顔

Posted July. 29, 2013 03:11,   

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日本の夏は熱い。気温が高いだけでなく、湿気も多くて蒸し暑い。8月の暑さは絶頂に達する。この時期の韓日の外交葛藤はこのような夏を一層熱くさせる。8月15日、日本の首相と閣僚の靖国神社参拝のためだ。

記者は、靖国神社に何度も行った。4月の桜の季節になると、神社の入り口は屋台天国になる。東京の第一の桜の名所、千鳥ヵ淵は、靖国神社の入口とつながり、花見客が神社で足を止め、屋台を楽しむ。

13〜16日の「みたままつり」の時は、恋人たちの天国に変わる。黄色の燈が靖国神社の入口から拝殿までつながっている。夕方になると、燈の灯りは幻想的なムードを生み出す。10、20代の若いカップルが靖国神社に来て祭りを楽しむ理由だ。

平素の靖国神社は、通常の神社と特に変わりなく静かだ。26日午前、記者が靖国神社を訪れた時、3、4人の日本人が参拝していた。老人の団体がガイドの説明を聞きながら靖国神社の隅々を見学していた。

このような様子を見ると、安倍晋三首相の言葉も理解できる。安倍首相は日本の月刊誌「中央公論」7月号のインタビューで、「韓国人と中国人は靖国神社が軍国主義を称賛する神社だと考えることが多い。しかし、実際に行ってみれば、軍人が1人もいないことに驚く。靖国神社に来た(日本の)参拝客は、軍国主義への回帰を願っているのではない」と語った。

桜や屋台、祭、静かな雰囲気は、明らかに軍国主義とは程遠い。しかし、4、5回靖国神社を訪れると、「軍国主義への郷愁」という神社のもう一つの顔を発見できる。「果たして日本は侵略戦争を反省しているのか」と疑念を抱くほどだ。

靖国神社では、「大東亜戦争70年展」という特別展示会が開かれている。展示会場の入口に設置されたブラウン管で「西欧列強が先を争ってアジアを植民支配する時、日本が出てアジアを解放しようとした」という説明があった。日本が1941年12月に米国を攻撃して起きた太平洋戦争を「アジアの解放」という視点で解釈したのだ。

神社内の遺物展示館である「遊就館」は、1868年の明治維新後、日本が行なった各種戦争資料約10万点を展示している。1階の玄関に設置された蒸気機関車は、観覧客が写真撮影するお決まりの場所だ。過去、鉄道の建設でタイ人や中国人など6万人、戦争捕虜1万5000人が犠牲になったという事実はどこにもない。

文禄・慶長の役を起こした豊臣秀吉を説明する箇所では、「秀吉の夢は海外にも広がり、明征伐を主張して朝鮮に出兵したが、成し遂げられず…」と書かれていた。「侵略」が「出兵」と表現されている。

太平洋戦争については、「アジア民族の独立が現実になったのは、大東亜戦争での日本軍の輝かしい勝利の後だった。日本が敗れた後、各国は独立戦争などを経て民族国家になった」と説明した。日本軍の勝利が民族国家樹立を早めたという解釈をインドネシアやフィリピンの国民が理解するか疑わしい。

このような資料を見た日本人の感想はどうだろうか。特別展示会に置かれていた芳名録を見た。多くの人が「命を失った先祖に感謝する」と書いていた。先祖がなぜ命を失ったのかは重要ではなかった。外国人と思われる人が、「日本は侵略戦争を反省しなければならない」と書くと、すぐその下で「こんな人は靖国神社に来なければいい」と批判した。

韓日の間には独島(ドクト、日本名・竹島)、従軍慰安婦など様々な問題がある。日本が過去の過ちを美化する限り、両国問題は簡単には解決しないだろう。