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メード・イン・イタリー

Posted June. 14, 2013 04:40,   

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先週イタリアに行ってきた。約10年ぶりに訪れたローマ帝国はすばらしかった。各都市に溢れる文化財に、おいしい料理、広大なブドウ畑とオリーブの香り…中古品市場のように人々が群がるバチカン博物館も観光大国の威容があってうらやましかった。

悪名高いスリにも遭わず、観光客としては満点の訪問だった。しかしどういうわけか妙な違和感を覚えた。6月なら炎天下になる天気が、異常気象の影響で、英国のように気まぐれだったためか。帰ってきても時差に適応できなかった。

偶然ある本を見て解答の糸口を見つけた。今年初めに出版された『2033未来の世界史』(ヒューマニスト)を見ると、欧州を一つの単語で定義している。「老大陸」。そうだ。イタリア、いや欧州は老いていた。

現地でそんな印象を受けたのは、多くの文化財が補修工事されていたためではない。ローマにしてもフィレンツェにしても遮蔽幕に囲まれた建物が多かった。しかしそれは仕方がない。古くなれば手を加えなければならず、問題があれば直さなければならない。残念だが、文化財への愛と見ることができる。

問題は人だった。どこへ行っても移民が溢れていた。アフリカやインド、中東などから来た人々が通りを占拠していた。彼らは若かった。一方、「オリジナル」のイタリア人は中年以上が多かった。アッシジやチンクエ・テッレのような小さな村も例外ではなかった。

『未来の世界史』によると、これは決してよそ者の速断ではない。1950年に欧州は世界人口の20%を占めたが、2030年には8%に下がる。65才以上の人口の割合は2010年の17%から20年後には25%に増える。興味深いことは、イタリアやフランスはその時多少人口が増えると展望されていることだ。流入移民の数が流出する数より多いためだ。

断言するが移民を卑下するつもりはない。生きていくために祖国を離れて異郷で暮らす心情はさぞ大変だろう。バスの中で話をしたエチオピア難民も身なりは貧しそうだったが、素敵な青年だった。露店をしながらも、堂々としていて親切だった。

問題は「オリジナル」の態度だ。難民であれ何であれその土地に定着した以上、彼らは同じ社会構成員だ。道端で暮らすよう放っておくことはできない。欧州は若い労働力の確保に困っているのではないのか。出身と皮膚の色を問わず、彼らを教育しなければならない。そうしてこそ、たとえ金を稼いで故国に送っても、少なくとも街をさ迷うことはない。私たちも同じだ。「メード・イン…」に執着せず、「メード・バイ…」の世の中に備える時だ。老いた韓国はもの悲しい。