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軍と爆弾酒

Posted June. 12, 2013 03:57,   

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「軍人はやっぱり爆弾酒だろう。一杯やろう」

2000年9月末、済州(チェジュ)で開かれた第1回南北国防長官会談前日の晩餐会場。趙成台(チョ・ソンテ)国防部長官ら韓国側代表団が、金鎰迵(キム・イルチョル)人民武力部長ら北朝鮮側代表団に「爆弾酒対決」を提案した。すでに「ホボク酒」(済州特産酒)で1人30杯近く酌み交わした後だった。北朝鮮側代表団は翌日の会談を考えて「爆弾酒は結構です」と提案を断り、爆弾酒勝負は実現しなかった。

ビールにウィスキーや焼酎を混ぜた爆弾酒が軍の飲酒文化の象徴のように語られたエピソードはこれだけではない。韓国現代史で軍と爆弾酒は切っても切れない関係にある。まず、韓国社会に爆弾酒を初めて広めたのは軍というのが定説だ。ポータルサイトでも、1960、70年代に米国に留学した軍人が爆弾酒を最初に持ち込んだと紹介している。

その後80年代初めに政治に入門した軍関係者が政界や法曹界、報道関係者との酒の席を持つようになって「爆弾酒文化」が社会各界に広まったという。当時、第5共和国の新軍部勢力が政権創出と維持のために民間人と「パートナー関係」を結ぼうと爆弾酒を活用したという声もある。

実際、数年前まで軍内では爆弾酒文化が大勢だった。軍首脳部をはじめ、一線の指揮官が主管する会食の席で爆弾酒が「忠誠酒」、「団結酒」という名前で交わされた。

「上命下服」が生命である軍組織で、上級者が渡す爆弾酒は個人の酒量に関係なく断ることができない「酒令」であり、「我ら一つ」という一体感を確認させる「妙薬」だった。さらに「飲めれば勇将、飲めなければ不肖者」という多少過激で寛容な軍飲酒文化に支えられ、爆弾酒は軍で全盛期を謳歌した。軍納のウィスキーは免税の恩恵を受けて一般の店で売られる酒よりも安いうえ偽物がなく、軍内の爆弾酒拡散の一助となったという笑い話まで語られた。

爆弾酒は権力の象徴でもあった。歴代政権で政府高官や権力機関の首長になったり候補に名前が上ったりする人のプロフィールには爆弾酒の酒量が紹介された。数十杯の爆弾酒が飲める「斗酒不辞(酒は遠慮しない)」能力を持つ人は、それだけ力があり器の大きい人物と評価された。一部では、爆弾酒が階級の上下に関係なく公平に飲み、会食の席を早く終わらせる肯定的な面もあるという「爆弾酒礼賛論」も語られた。

一方、爆弾酒の弊害が国民的関心を引くことになったのも軍との関係が深い。1986年3月、国会国防委員会議員と軍高官が会食の席で爆弾酒を交わしてけんかになり、もみ合いとなる「国会国防委会食事件」が起こった。「金バッジ」と「星」の間で起こった希代の乱闘劇を触発した爆弾酒は、その年末に今年の言葉になった。

文民政権スタート後、爆弾酒は冷たい目で見られた。軍事文化の残滓である爆弾酒を根絶しようというキャンペーンが大々的に展開され、軍も健全な飲酒文化の定着を掲げて「爆弾酒追放運動」が行われた。

しかし、爆弾酒はこれまで進化を繰り返し、命脈を保っている。最近は、焼酎とビールを混ぜた「小爆酒」が大衆的な飲酒文化を占めている。昨年、食品医薬品安全庁の調査で30〜50代よりも20代がビールにウィスキーや高カフェインのエネルギー飲料を混ぜた爆弾酒を好んで飲むという結果が出た。

暴飲は事件や事故に直結する。先月、陸軍士官学校で発生した校内の性的暴行事件の発端も過度な爆弾酒宴会だった。一部では、陸軍士官学校が社会の傾向を取り入れる理由で学生の飲酒規定を緩和したのが禍を招いたという批判が出ている。実際に、01年から学校長と学生隊長の承認の下、学生が少量の飲酒ができることになり、03年には飲酒承認権者が訓育官と指導教授、父兄に下方調整された。

軍当局は、事件を調査した結果、校内で過度な飲酒行為があったが教授が深刻に考えず、学生に対する保護措置など事後管理を疎かにしたことが明らかになったと発表した。さらに陸軍は、学生の飲酒規定を強化するなど対策準備を公言した。今回の事態を機に、軍が爆弾酒との縁を切ることができるか注目される。