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[オピニオン]「昌信洞製」

Posted May. 31, 2013 03:30,   

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昨年末に韓国を訪れたハリウッドの映画監督、ラナ・ウォシャウスキーは、東大門(トンデムン)周辺のショッピングセンターを見て回った後、「私がほしいものは建物の中に全て入っている」と褒め称えた。国内ファッションの中心地として、海外にも名をはせている東大門周辺は、24時間、休まず営業している。ここの衣類は、「昌信洞(チャンシンドン)製」製品だ。周辺の昌信洞の3000ヵ所あまりの縫製工場から製品を供給している。昌信洞は、典型的な庶民の町だ。ここで夜遅くまでミシンを回している人たちがいなければ、東大門の華やかな照明も存在できない。

◆朝鮮時代、昌信洞は、風光明媚なところであり、貴族らの別荘が多かった。朝鮮時代の李睟光(イ・スグァン)はここで、「芝峯類說(チボンユソル=朝鮮時代の百科事典)」を記した。日本植民地時代は、採石場として使われ、朝鮮総督府の建物などに使われた石材を供給した。韓国戦争が終わると、大規模な人口流入が行われた。1957年の記録を見れば、3.3平方メートル当たりの居住人口は2.6人もあった。1960年代や70年代、ソウルの縫製工場は、鋻溪川(チョンゲチョン)の周辺に集まっていたが、需要が増え、昌信洞にまではいることになった。鋻溪川のほうの工場は姿を消したが、昌信洞のほうはそのまま残り、昨今の東大門の背後基地となった。

◆ソウル歴史博物館が、昌信洞の歴史を扱った「昌信洞」展示会を開いている。昔の写真や資料を展示し、縫製工場や「ドヤ」も再現した。昨日、見て回った展示会は、経済開発時代の懐かしい思い出思い起こした。最近、昌信洞の路地の風景を盛り込んだ写真は、今もこんなところが残っているのかという好奇心を抱かせる。かつて、縫製工場には10代の少女らで溢れかえったが、今はいない。その代わりに、50代以上の頭に白髪の混じった中高年らが働いている。鋻溪川で、10代のとき仕事を学び、今まで生業として働いている人たちだ。注文が来れば、その日のうちに製品として作り出す。

◆彼らは、まじめにあくせく働きながら、「漢江(ハンガン)の奇跡」を成し遂げた主役だ。ソウル市は、昌信洞の縫製工場を近代文化遺産に指定する案を推進している。一部をソウル市が買い入れて、原型どおりに保存すれば、韓国の20世紀を伝えるすばらしい展示物になりかねない。我が子孫らが、もし困難に直面した時、ここを見ながら、新たに闘志を燃やすことになるかもしれない。

洪贊植(ホン・チャンシク)首席論説委員 chansik@donga.com