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5・18団体、「息子の棺の前で号泣する母親」写真を冒涜したサイトを告訴へ

5・18団体、「息子の棺の前で号泣する母親」写真を冒涜したサイトを告訴へ

Posted May. 25, 2013 03:05,   

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インターネットサイト「日刊ベスト保存所」(イルベ)に最近、ある母親が息子の遺体が安置された棺の前で号泣する様子を写した白黒写真が掲載された。5・18民主化運動の痛みを象徴する有名な写真だ。

しかし、このサイトに写真を掲載した人が、写真に「ああ、息子が宅配で送られてきた。着払いだ」というタイトルをつけた。子どもを失った悲しみに打ちひしがれる母親を冒涜したこのような行為に対して、5・18遺族会などは24日、法的に対応する方針を明らかにした。

東亜(トンア)日報取材チームが確認した結果、写真の母親は1980年当時、光州(クァンジュ)で店を経営していたソン・ヨンドさん(当時46才)だ。

1980年5月21日、ソンさんは釈迦生誕の日に家族の健康を祈るために光州東区西南洞(トンク・ソナムドン、旧市庁交差点)の自宅から寺に行く途中、隣人に会った。「全南(チョンナム)道庁の前で市民が集まって、ご飯も食べずに軍人と一晩中戦っている。支援できるか」と言われ、ソンさんは「デモには参加できないが、それぐらいはできる」と言って、1000ウォン寄付した。人々から集めた寄付金10万ウォンで、スーパーでパンや牛乳、ゆで卵などを買った。そして、全南道庁に行き、「独裁打倒」、「民主主義守護」を叫ぶ市民たちにパンを配った。

ソンさんは、ある市民が対峙していた戒厳軍を指差して「あの人たちもご飯を食べていないだろうに。食べ物をあげよう」と言ったので、ゆで卵を渡した。弟のようだったからだ。戒厳軍は「ありがとう」と言って、がつがつと食べた。

ソンさんは、市民と戒厳軍が対峙する胸の痛む状況が早く終わることを願って帰宅した。家に帰えると、息子(キム・ワンボン君、当時14才・光州ムドゥン中学校3年)が見あたらなかった。息子は母親がなかなか帰ってこないので、母親を探しに行ったのだ。

その日の夕方、息子の帰宅を待っていたソンさんは隣人から、「道庁の前で銃に撃たれて死んだ人の中に髪の短い中学生ぐらいの子どもがいた」という青天の霹靂のような話を聞いた。一晩中市内の病院を探し回ったソンさんは、22日午前、光州赤十字病院の霊安室で息子の遺体を見つけ、失神した。息子は母親とすれ違い、道庁前まで行って戒厳軍の集団発砲で銃に撃たれて亡くなったのだ。韓国戦争当時、北朝鮮から1人で韓国に来て結婚したソンさんは、早くに夫と死別し、女手一つで3人の子どもを育てた。優等生だった一人息子は、彼女にとって生きがいだった。

ソンさんは先に逝った息子を8日間埋葬できなかった。当時は安置する場所がなく、軍と対峙する状況だったためだ。5月29日、望月洞(マンウォルトン)墓地に息子を埋葬する母親の胸は張り裂けんばかりだった。彼女が号泣する姿は、望月洞墓地で取材していたナ・ギョンテク氏(5・18当時全羅毎日写真部次長)のレンズに収められた。

5・18記念財団は、ナ氏のほかにもファン・ジョンゴン、キム・ヒョンマン氏(当時東亜日報写真記者)らが撮った5・18民主化運動と6月民主抗争の写真を集めて1991年に「5月、民主主義の勝利」という写真集を出版した。この本に、ソンさん親子の悲劇は「望月洞墓地、棺の前で号泣する母」というタイトルで載っている。

ソンさんは息子の無念の死を胸に苦しい歳月を送り、2003年に69才で亡くなった。ワンボン君は現在、国立5・18民主墓地1−18番に埋葬されている。

ワンボン君の妹(45)は24日、東亜日報の電話取材に対して、「イルベの会員が人間ならこんな冒涜はできない。もし自分の家族が同じ悲劇にあったなら、こんな言葉を書けるだろうか」と怒りを露にした。

イルベに掲載された5・18冒涜写真はこれだけでない。民主化運動の犠牲者を「宅配」、「ガンギエイ」とも呼んでいる。5・18負傷者の会、5・18遺族会、5・18拘束負傷者の会は、イルベが5・18犠牲者を冒涜した写真6枚のうち被害者や遺族を探して法的対応に出る考えだ。5・18記念財団のキム・チャンホ事務局長は、「被害者や遺族が告訴する場合、死者名誉毀損で処罰が可能だという結論を得た」とし、「イルベ関係者を告訴し、処罰を受けさせる」考えを明らかにした。