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突拍子な想像で「創造経営」 スマートアプリ開発会社・ハンドスタジオ

突拍子な想像で「創造経営」 スマートアプリ開発会社・ハンドスタジオ

Posted May. 03, 2013 03:59,   

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地方大学に入学、2度の学事警告、卒業平均点数2.6(4.5点満点)。銀行に就職したが面白くなく、3ヵ月後に退職した。その後3ヶ月間遊んだため、再び就職できるところがなく、徐々に怠け者になっていく自分に失望し、自殺まで考えた。

スマートアプリ(応用プログラム)開発会社・ハンドスタジオのアン・ジュンヒ社長(31)のことだ。10年2月に設立したハンドスタジオは、三星(サムスン)電子やヒュマックス、EBS、NHNなどを主要客に抱えている。この分野では韓国第1号でありトップ企業だ。最近、国内外の有名企業から、一緒に働きたいという提案がある。起業から6ヶ月間で損益分岐点を越えており、11年は20億ウォン、昨年は30億ウォンの売上げを上げた。今年の売り上げ目標は60億ウォンだ。

先月29日、ソウル江南区駅三洞(カンナムグ・ヨクサムドン)のハンドスタジオの社屋で会ったアン社長は、大学生のように新鮮だった。短めに切った髪形に端正な服の姿、はにかむような表情…。しかし、事業のビジョンや経営哲学はキャリア豊かなどの最高経営者(CEO)にも劣らなかった。

今は、スマートテレビのアプリ業界を先導するベンチャー企業家だが、大学時代のスペック(資格)はみすぼらしいものだった。01年、韓東(ハンドン)大学・経済学科に入学したアン氏は、勉強に興味を感じることができなかった。専攻を国際政治学に、再び経営学に変えてみたが同じだった。きちんと授業に出た覚えがほとんどない。

その代わり、学校のさまざまなイベントには欠かさず、スタッフとして参加した。自然にイベントや公演企画に関心を持つようになった。03年、休学して、ソウルに上京し、国際規格の仕事を手がける中小企業に就職した。その時身につけた1年間あまりの経験は、アン社長を、「企画書作成の達人」へと様変わりさせた。04年、復学したアン氏は、16件の公募展に志願し、13件で受賞した。

「当時、『風のファイター』という映画が公開されたが、主人公のチェ・ベダルが、『空手の極み』を鍛え、全国各地の道場を歩き回りながら、高段者らを押させつける内容でした。私もその時から、『道場叩き』の気持ちで、企画書作成には誰にも負けたくないと欲を出しました」。アン社長は、「力量を発揮できる分野を探すために、さまよった大学時代は決して、無駄な時間ではなかった」と振り返った。

ハンドスタジオは、ベンチャー業界では「神の職場」として有名だ。年収は、情報技術(IT)業界では韓国トップのNHNと同様の水準だ。同社はそのほか、職員らのためにさまざまな福祉制度を実施している。慶尚北道浦項(キョンサンブクド・ポハン)で生まれたアン社長は、自分が経験したがために、誰よりも地方出身や自炊者らの厳しさを知っている。そのため、会社の福祉の基本は、ソウルに知り合いのいない職員らも衣食住の心配なく、仕事にだけ打ち込ませることだという信念がある。

住処の必要な職員には、借家の保証金を無利子で制限なしに貸している。職員らがいつでも食事ができるよう、会社にはパンやシリアルを存分に用意している。昨年からは3ヶ月に一度、全ての職員がデパートに出向き、20万ウォンの限度内で希望する服を買っている。結婚の時は、結婚式費用として、1000万ウォンを支援している。

職員の平均年齢が28歳に過ぎない会社らしく、組織文化も若い。天気がよければ、全職員が漢江(ハンガン)に出向いて自転車に乗り、最新映画が公開されれば、皆、劇場に出向いて映画を見る。フレキシブル勤務制を導入し、大学に通いながら、会社の仕事をする職員もいる。忘年会は、職員らが両親を招いて、最高級ホテルで1泊二日の親孝行のイベントに取って代わらせている。両親の日は、感謝のカードと一緒に1等級の韓国牛を両親に送る。

アン氏の事務所の机には、破れた代表取締役の名刺がおかれている。若い年にCEOとして成功したからといって、うぬぼれてはならないという意味からだ。アン社長は、後輩らに対し、「たいしたことでもないスペックに落ち込まず、人から非難されてもいいから、突拍子な創造をし、大きな志を育てるべきだ」とアドバイスした。



jjy2011@donga.com