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[オピニオン]北朝鮮のコカコーラー

Posted March. 04, 2013 03:17,   

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第二次世界大戦が終わった後、フランスで「コレ」を売る人々は米国のOSS(戦略情報局=中央情報局の前身)のスパイと看做された。フランス人たちは、サンジェリゼ通りに沿って疾走する赤色のトラックにはフランスの文化と精神を破壊するコレが積まれていると信じた。トラックを倒したっり、積んでいたコレを出し割る人たちもいた。共産党機関紙は、米国がコレを前面にふりかざしてフランスを植民地支配しようとしていると激昂し、パリでは「コレを作る会社がノートルダム聖堂を購入して、外壁の一部を広告スペースにしようとしている」という噂まで流れた。コレはコカコーラーだった。

◆6つの飲み物から世界史を語った「歴史一杯しませんか?」の著者である英国作家、トム・スタンデージは「ボトル一つに入っているコカコーラーは資本主義に最も近づけた品物」と評価した。コカコーラーが入ってくる瞬間が、まさしくその地域で何か本当の変化が起きる瞬間だとも説いた。それほどコカコーラーは資本主義の象徴であり米国の象徴である。1989年にベルリンの壁が崩壊したとき、東ドイツの住民たちが西ドイツから買い付けたものがコカコーラーだった。2003年、タイで米国のイラク侵攻に反対するデモ隊が割ったのがコカコーラーだった。

◆昨年の夏、インターネット動画専門サイトのユーチューブでは平壌(ピョンヤン)のある飲食店に登場したコカコーラー映像が話題を呼んだ。北朝鮮とイタリアのジョイントベンチャーであるコリタルがオープンした同飲食店で、外国人観光客たちが撮影したものだった。彼らがピザを食べるテーブルにはコカコーラーの缶が置かれていた。世界でコカコーラーを正式に輸入していない2ヵ国のがキューバーと北朝鮮であることを考えると、誰かが非公式のルートで隠密に持ち込んだものに間違いない。そのコカコーラーが再び平壌に登場した。今回は最高権力者の前に堂々とだ。先月28日、平壌の柳京鄭周永(ユギョン・チョンジュヨン)体育館で金正恩(キム・ジョンウン)労働党第1書記と並んでバスケット試合を観戦していた元米プロバスケット協会(NBA)選手のデニス・ロードマン★の前のテーブルに置かれた赤いコカコーラーの缶が目を引いた。テーブルの上のコカコーラー缶は労働新聞1面のメイン写真でも残っていた。

◆「ブッシュマン」(1980年)という映画があった。アフリカのカラハリ砂漠に住むクン族村にある日、突拍子もなくコカコーラーの瓶が空から落ちてきた。村の空を飛んでいた飛行機から乗客が外に投げ捨てた空き瓶だったが、これを神の贈り物だと受け止めた村人たちは瓶を巡って取り合いになる。コカコーラーの瓶一つが小さな村に大波乱を起こしたのだ。結局、ある住民が村の平和のために、この瓶を神に返すため、遠い旅に出る。映画の原題は「神が狂ったに違いない」(The Gods Must Be Crazy)」。神が狂っても良いから、あの小さな赤い缶が北朝鮮に吹いているかもしれない変化のシンボルになることを望むだけだ。

ミン・ドンヨン政治部記者 mindy@donga.com