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冬の海に「ドブン」…海雲台北極熊水泳大会

冬の海に「ドブン」…海雲台北極熊水泳大会

Posted January. 21, 2013 03:14,   

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人生相談コラムの「親愛なるアビー(Dear Abby)」を執筆してきた米国のポーリン・フィリップス女史が17日、95歳で死去した。ネチズンは彼女が半世紀の間書いてきたコラムから名句を選んで読みながら追慕している。ある男が聞いた。「付き合って1年になる彼女がいます。彼女に『イエス』という返事が聞きたいですが、どうしたらいいでしょうか」アビーは聞き返した。「(彼女にする)質問が何ですか」家族史が気になるが、調査するお金がなくて悩んでいるという読者には短く助言した。「公職に出馬しなさい」結婚6ヵ月で3.9キロの子どもを産んだ嫁が早熟児だと言い張っているという。「3.9キロの早熟児もいるか」という姑の愚問にはこのような賢答を示した。「子どもはちょうどいい時に生まれました。結婚が遅かっただけです」

◆フィリップス女史は双生児コラムニストとしても有名だ。17分早く生まれた姉のエスダー・レーデラーとはそっくりの人生を生きた。同じ大学に入って大学新聞でゴシップコラムを共同執筆し、結婚も同じ日にした。相談コラムは姉が先に書き始めた。姉はシカコ・サンタイムズに「アン・ランダースに聞いてみてください(Ask Ann Landers)」を書いていた筆者が死亡したら、1955年からそのコラムを受け継いだ。姉の仕事を助けていた妹は、自分のコラムを書く決心をし、サンフランシスコ・クロニクルを訪れた。同氏は面接の場で2時間の間70通の返事を書き、帰るや否や1956年1月9日付けから書くようにという電話を受けた。

◆聖経の中の女性預言者、アビゲイル(Abigail)にちなんで名付けたコラム「親愛なるアビー」は、世界中1400の日刊紙の読者1億1000万人が読む名コラムになった。彼女に毎週送られる手紙は電子メールを含めて3000〜2万5000通。絶頂期には手紙の封筒を開く職員4人と返事担当者6人を別に置いたこともある。40年以上コラムを書いたから、「曇りの日」もあった。昔書いたコラムを再活用したことがあると告白したりもし、同じ分野で競争した姉と関係が悪くなって5年間絶縁したが、02年、姉が死ぬ前年和解した。

◆フィリップス女史は成功の秘訣について、「特別な智恵を持ったわけではない。普通の人の常識に頼るだけ」と言った。結婚後、病院でボランティア活動をしたが、あの時、患者の世話をしながら「聞き方」を身に付けたという。「人々が悩みを打ち明ける時、最も良いのはただ聞いてあげることだ」というのだ。人々は「親愛なるアビー」を読みながら、日常で誰にでも起きられる問題を共有し、解決策について話し合った。20世紀に始まった「親愛なるアビー」と「アン・ランダース」という日常の公論場は、世紀を越えて双生児姉妹の娘たちが家業として受け継いでいる。心温かいメンターの冥福を祈る。

イ・ジンヨン文化部次長 ecolee@donga.com