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[社説]誇らしい大韓民国の歴史に書き込まれた2012年

[社説]誇らしい大韓民国の歴史に書き込まれた2012年

Posted December. 31, 2012 10:44,   

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2012年もあと1日となった。1年を送り、満足する人もあり、悔恨を振り払いたい人もいるだろう。5000万の国民全体で見るなら、誇らしい大韓民国の歴史に新たに刻まれた1年だった。国家信用格付けの上昇、貿易1兆ドル達成、ロンドン五輪総合5位、「江南(カンナム)スタイル」に代表される韓流の世界化…。大韓民国が世界に広がりつつあることを示す誇らしい成績表だ。

大統領選挙と国会議員総選挙という2つの大きな選挙を行い、国民皆が疲弊した1年だった。理念、世代、地域、貧富の問題が選挙過程で露呈した。選挙は対立を生むが、新しい変化ももたらす。国民は、朴槿恵(パク・クンヘ)セヌリ党候補を次期大統領に選んだ。総選挙では、「与党優勢、野党躍進」で議会権力が再編された。国民は「安定の中の変化」を望んでいる。

新しい政治を象徴する「安哲秀(アン・チョルス)現象」が、1年中政界を揺るがした。その影響で、14年の歴史のハンナラ党が看板を下ろし、セヌリ党に生まれ変わった。野党第1党の民主統合党も指導部を2度も交代する産みの苦しみを味わったが、刷新よりも野党連帯や候補一本化といった政治工学に固執する限界を見せた。国民の審判は冷酷だった。統合進歩党は不正選挙戦に続く暴力事態で、非民主性と北朝鮮従属の実体が明らかになり、国民に背を向けられた。

安哲秀現象を生んだ安哲秀前ソウル大学教授が大統領選への出馬を宣言し、大統領選挙では朴槿恵、文在寅(ムン・ジェイン)、安哲秀の3者構図で2ヵ月以上予測できない様相だった。安氏の候補辞退で、大統領選挙は与野党の対決構図になり、安哲秀現象も「春の日の夢」に消えた。安哲秀政治は失敗しても、安哲秀現象は両政党が新しい政治の動力として活用しなければならない。

葛藤と反目の反作用で統合に対する国民の渇望も大きかった。大統領選では、与野党候補いずれも統合を約束した。自分の陣営の勢力を増やし、格好だけそれらしくして投票者の心を捉えようという意図もあったが、深刻な社会分裂の隙間を埋めようという真正性を無視することはできない。

1987年が「政治民主化」の元年だったなら、2012年は「経済民主化」の元年として記録される。福祉公約が溢れ、健全な市場秩序と公正な競争を害する「貪欲の経済」に手綱を引き締めろという声が多かった。しかし、過度な大企業叩きは、経済の活力と成長潜在力を損なうことにならないか心配だ。福祉であれ経済民主化であれ、過ぎたるは及ばざるが如しだ。

国民統合を成し、国民生活に活力を与える大統領になるという朴槿恵氏の約束に期待をかける。今夜、家族と恋人と友人とともに除夜の鐘を聞きながら、新年の希望を夢見みよう。アデュー2012!