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800年前の高麗人、マダイ—ヒラメーアワビも塩辛に

800年前の高麗人、マダイ—ヒラメーアワビも塩辛に

Posted May. 09, 2012 09:01,   

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国立海洋文化財研究所が忠清南道泰安郡近興面(チュンチョンナムド・テアングン・クンフンミョン)の馬島(マド)海域の高麗時代の難破船(馬島1、2、3号船)から発見された陶器の壷103点を研究し、高麗図経の水壷の使用法など、800年前の高麗人の生活像が次々に明らかになっている。一緒に出てきた木簡(文字が書かれた木の板)によると、「馬島1号」が難波した年は1208年だ。

まず、高麗人が塩辛にして食べていた魚の種類が明らかになった。長い歳月が流れたが、干潟に埋まっていた壷の中に、魚の骨やカニ、エビの殻が残っていたためだ。難破船から発見された木簡には、魚、カニ、アワビの塩辛を入れたという記録があるが、専門家が骨の構造と断面を分析した結果、サッパ、イワシ、イシモチ、コノシロ、マダイ、ヒラメの骨だった。殻は、スナガニのものだった。

壷の口を木栓で塞ぎ、わらで隙間を埋め、壷と壷の間にもわらを挟んで割れないようにしていた。塩辛でない魚類としては、サメの骨が出てきた。これは、竹かごに入れられた状態で発見された。干したサメの肉を大きなかごに入れて運んだと推定される。イガイの塩辛やアワビの塩辛、生きているアワビ100個を入れたという記録が書かれた木簡も発見された。

次は壷の大きさだ。徐兢は、飲み水を大きな壷に入れて運んだと記述したが、実際には、容量が170リットルの大型の壷が発見された。この壷は帆がある中心部にあった。船の最も安全な場所に置いて使用したとみえる。そのほかの壷は、容量が18リットル、10リットル、4リットルの3種類で、体積が一定だった。割れた壷は、3次元コンピュータ・グラフィックで容量を推定した。国立海洋文化財研究所のイム・ギョンヒ学芸研究員は、「形は違っても、陶器の壷を作る際、度量衡によって一定の体積になるように作ったとみえる」と説明した。

高麗を背景にしたドラマでは、職人が形の悪い陶磁器を釜から出してすぐに割るシーンがある。しかし、馬島船からは形が歪んだ陶器も発見された。形が悪くても捨てずに使った高麗人の実用性がうかがえる。

国立海洋文化財研究所は9日午前11時、忠清南道泰安郡馬島面の泰安保存センターで、地域住民と共に、馬島海域の水中発掘調査の開水祭を行う。水中発掘の安全を祈り、文化遺産の宝庫である高麗船のさらなる発見を祈る行事だ。



jameshuh@donga.com