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[オピニオン]呪われた人間、聖なる人間

[オピニオン]呪われた人間、聖なる人間

Posted March. 12, 2012 06:53,   

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古代ローマ法には「ホモ・サケル」という特異な人間が存在した。ラテン語で「聖なる人間」という意味だが、実は正反対だ。人々が犯罪者と判定したので彼を殺しても殺人罪で処罰されない「呪われた人間」だからだ。古代ローマの思想家をはじめ、多くの西欧学者にとって大きな謎だった。どうして呪われた人間が聖なる人間と呼ばれるのか。

◆イタリアの政治哲学者ジョルジョ・アガンベンは、このなぞをミッシェル・フーコーが唱えた生政治で説明した。古代ギリシャ人は、生を2種類で理解した。一つは「ゾーエー(zoe)」で、もう一つは「ビオス(bios)」だ。ゾーエーは生を維持し、それを再生産する「剥き出しの生」を意味する。ビオスは政治的動物として人間の「価値ある生」を意味する。古代には、ゾーエーとビオスの区別が明確だった。フーコーの生政治は、近代に入ってその区別が崩れ、政治権力(ビオス)が国民の生(ゾーエー)をどのように管理するのかが主要テーマになったという洞察を含んでいる。

◆アガムベンは、フーコーの洞察を拡大し、生政治が近代の産物ではなく、古代から持続する西洋政治の核心だと主張した。その証拠がホモ・サケルと呼ばれる「剥き出しの生」だ。ホモ・サケルは、国家法秩序によって排除されることで、逆説的にその国家の存続を支える存在だ。彼らは、その共同体最高の例外的な存在である主権者の対称点に位置する最悪の例外的存在である。ホモ・サケルは、「剥き出しの生」(ゾーエー)と「政治」(ビオス)が出会う交差点であり、国家権力が組織されると同時に、それから解放がなされる土台だ。そのため「聖なる存在」なのである。

◆ホモ・サケルは、中世の「オオカミ人間」や国際法の秩序の外に位置する海賊の姿で常に存在した。問題は近代になってこのようなホモ・サケルが大量化、一般化しているという点だ。ナチスドイツ治下のユダヤ人、日帝の生体実験の対象になった植民地の国民、先進国の不法滞在者…。そのような事例がまさに私たちの目の前で繰り広げられている。中朝の国境をさ迷う脱北者は、北朝鮮でも中国でも「生」(ゾーエー)すら保証されない「呪われた人間」だ。そして、北朝鮮の最高権力者、金正恩(キム・ジョンウン)氏の登場と相まって、北朝鮮の政治現実(ビオス)を維持、あるいは転覆させる可能性のある雷管という点で「聖なる人間」でもある。

権宰賢(クォン・ジェヒョン)文化部次長 confetti@donga.com