Go to contents

[オピニオン]裁判官の「二つの剣」

Posted February. 29, 2012 07:59,   

한국어

「昔、シチリア島の都市国家だったシラクサの王、ディオニシウスの臣下の中に、ダモクレスという人がいてね。彼は王が権力を享受することを大変羨ましがっていたんだ。それに気づいた王は、彼に王座を一日間譲ったのさ。感激したダモクレスは、王座に腰掛けたんだ。目の前には、山海の珍味が山ほど並べられていったんだが、ふと頭上を見上げると、鋭い剣が、一本の髪の毛にぶら下がっていたではないか。もちろん、ダモクレスは真っ青になったんだが、これは、権力の座がどれほど不安で苦痛なところかを示す物語に他ならないわけさ」。「チョン・チャンの小説『ダモクレスの剣』より」

◆梁承泰(ヤン・スンテ)最高裁長官が一昨日、新任裁判官の任命式で、「裁判官に剣があるなら、ダモクレスの剣があるのみだ」と語った。その剣はやや間違えれば、裁判官の頭上に落ちかねず、高度の召命意識や明哲な使命感を持って、裁判官の任務に当たるべきだという要求だ。国の重要人物や政治指導者らが、時代の的をいる例えを、古典から適切に取り出して引用すれば、説得力を高めることができる。

◆本来、裁判官にはダモクレスの剣ではなく、ディケーまたはユースティティアの剣がある。ギリシャのディケー(dike)やラテン語のユースティティア(justitia)は、共に英語の正義(justice)を意味する。正義の女神は普通、目隠しをし、右手には剣を、左手には天秤を下げている。あちらこちらに目を配らずに、天秤のように公正に判決し、剣のように断固に執行すべきだと言う意味だ。しかし、最高裁判所の建物のロビーにある正義の女神像は、変わったことに、目隠しをしておらず、右手には天秤を下げているが、左手には法典を手にしている。目隠しを外し、一所懸命に法典を読むことまではいいが、法典のほか、フェイスブックやツイッター、ポットキャストなどに目を通すため、忙しい裁判官らもいるような気がする。

◆梁最高裁長官は、ダモクレスの剣に触れながら、裁判官の中立性を無視し、個人の政治的所信を憚ることなく口にする判事、庶民ならではの低俗な言葉で裁判官の品位を落とす判事らを頭の中に浮かべただろう。「出乎爾者反乎爾者」という言葉がある。曾子の言葉だ。出されや言葉は出した本人の元に戻ると言う意味だ。裁判官らよ、あなたらは二つの剣を身近に持っている。身分保障だけを信じ、ディケーの剣を振り間違えれば、ダモクレスの剣に打たれかねないことを肝に銘じるべきだ。

宋平仁(ソン・ピョイン)論説委員 pisong@donga.com