Go to contents

[オピニオン]広開土太王の称号

Posted February. 20, 2012 06:36,   

한국어

今年は高句麗広開土太王逝去1600周年だ。歴史の教科書では、三国史記の記録によって、広開土王または広開土大王と呼ぶ。しかし、「太王四神記」(2007)を筆頭に最近の史劇では、広開土太王と呼んでいる。その影響で、史劇では高句麗のすべての王を「太王」と呼ぶ傾向がある。このため、王、大王、太王の関係を原級、比較級、最上級と見る見方もある。偉大な王という意味で大王で十分なのに、太王とは何を意味するのかという冷笑的な反応も出ている。

◆太王は、王や大王と級が異なる。中国の皇帝に匹敵する称号だ。諸侯(王)を率いる帝国の王、王の中の王という意味だ。中国でも同じように王と書いたが、秦始皇の時から古代の伝説的王の名前を取って、皇帝と呼び始めた。その後、中国大陸の中心部を意味する中原を掌握した王朝の王は、すべて皇帝を自任した。中世ヨーロッパの中心部を掌握した神聖ローマ帝国の統治者の称号として、ローマ皇帝の称号であるエンペラーやカイザーを使うのと同じだ。

◆「国岡上広開土境平安好太王」。広開土太王の碑文に書かれた諡号だ。諡号は、王の死後に付ける称号である。「国岡上」は葬地、「広開土境平安」は領土を広げて平安をもたらしたという王の業績、「好太王」は良い太王という美称と分析される。碑文を見れば、征伐活動を準備する時は王、征伐が完了した時は太王と表記された。先の高句麗の王には太王という称号は付けられなかった。王と太王の差別性を明確に認識していた証左だ。新羅の真興王も、三国の敗者として浮上した後、太王という呼称を使った。

◆先週、ソウルで「高句麗広開土王と東アジア」という韓国古代史学会主催の国際学術会議が開かれた。中国北京大学の羅新・教授は、広開土太王を「永楽太王」で呼ぶべきだと主張した。「永楽」は、広開土太王が使った年号だ。年号とは、皇帝の治世期間の称号である。結論だけを見ればそう言える。しかし、羅教授は、永楽は独自の年号ではなく、生前の王名にすぎず、太王は高句麗王の一般官称だと主張した。上手く太王の意味を格下げしたのだ。名実共に太王であるのに太王と呼ばないことは度量が狭く、反対に太王をすべての高句麗王に拡大することは乱発だ。

権宰賢(クォン・ジェヒョン)文化部次長 confetti@donga.com