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永遠なる韓国人の恋人、パティ・キムが引退

永遠なる韓国人の恋人、パティ・キムが引退

Posted February. 16, 2012 08:18,   

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「黄昏時、夕日が全ての世界を赤く染めますね。その太陽のような姿で、皆さんの記憶に残りたいと思います」。

70代の歌姫は、最後の舞台まで最高に情熱的且つ華やかに輝くことを願った。歌手・パティ・キム(74)が引退を宣言した。15日、ソウルの韓国プレスセンターで記者会見を行ったパティ・キムは、「6月から始まる全国ツアーを最後に、歌手人生にピリオドを打ちたい」と明らかにした。「最後をどう仕上げるか、10年間悩みました。未練は多いが、堂々とした素敵な舞台を披露することができる間に舞台から降りるべきだと考えました」。

1958年8月、米8軍部隊で、「リンダ・キム」と言う芸名でデビューした氏は、1959年から自らの好きな米歌手・パティ・ペイジの名前を取って、「パティ・キム」と言う名で活動を開始した。その後、「草雨」(1962)、「光と影」(1970)、「離別」(1972)、「愛は永遠に」(1974)など、数々のヒット曲を残し、50年以上愛されてきた。

氏にとって公演とは、宗教的な儀式も同様だ。舞台に上がる前は何時も新しい靴を履き、歯を磨く。歌手人生50年が過ぎた今も、「舞台が最も難しく、怖い」と打ち明けた。「40歳になってからは、歌や公演がどれほど難しいものなのかを知るようになりました。公演が始まる数十分前から立った状態で待ちますが、そのたびに『心臓麻痺を起こし、死ぬのでは』と思うほど緊張します。地震でも起きて公演が中止になることを願ったほどですね」。

パティ・キムは、「初」記録の最多保有者と言われるほど、韓国の大衆歌謡史に数々の記録を残している。

日本植民地からの独立後、日本政府から公式に招待を受けた、「韓流」歌手第一号(1960年)であり、韓国で初めて自分の名を冠した「リサイタル」と言う表現を使った(1962年)。大衆歌手として、一番最初に世宗(セジョン)文化会館で公演を行い(1973年)、米ニューヨークのカーネギーホール(1989年)や豪州シドニーのオペラハウス舞台にも、韓国歌手として初めて立った(2000年)

トップの座を50年以上守ることができたのは、徹底した自己管理も一役買っている。氏は今も毎日、1.5キロ泳ぎ、4〜5キロをウォーキングする。そのため、30代にアルバムをリリースした、「愛は永遠に」を、今もオリジナルキーで歌う。

「ファンは冷たいですね。昨日まで応援し、拍手を送ってくれたと思ったら、次の日新しい人が現れれば見向きもせず、そちらの方に向かいます。ファンを失望させないために、絶えず努力をしてきました」。

生まれ変わっても歌手のパティ・キムとして生きたいという氏だが、引退後は平凡なお婆さん、一般人の「金ヘジャ」(本名)に戻るという。パティ・金の最後の公演の名は、「離別」だ。6月2日からソウルオリンピック公園・体操競技場を皮切りに、1年間釜山(ブサン)や大田(テジョン)、光州(クァンジュ)や外国主要都市で引退記念公演を行う予定だ。



comedy9@donga.com