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[社説]金総書記の死は反倫理体制終息の出発点だ

[社説]金総書記の死は反倫理体制終息の出発点だ

Posted December. 20, 2011 07:43,   

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「ユーラ」と呼ばれた少年がいた。1941年、ロシア・ハバロフスク近くのソ連軍の兵営で生まれたこの少年は、恥ずかしがりやで、すべすべとしたきれいな頬をしていた。朝鮮民主主義人民共和国の建国者、金日成(キム・イルソン)は、ユーラの出生地を白頭山(ペクトゥサン)密営と捏造した。17日に心筋梗塞で帰らぬ人となった金正日(キム・ジョンイル)総書記は、出生から偽りで塗り固められた人生だった。多くの人民を飢えさせ、「親愛なる指導者」という呼称を住民に強要した。「首領絶対主義」という類例のない独裁体制で20代の息子、金正恩(キム・ジョンウン)氏を後継者に指名し、3代世襲の城を構築しようとしたが、死を避けることはできなかった。

74年、金日成主席と共同統治体制を構築し、事実上、北朝鮮の実質的指導者に浮上した金総書記は、民族史に拭えない罪を犯した。金総書記が「党中央」と呼ばれ権力を行使し始めてからの37年間は、大韓民国現代史の暗黒期だった。故黄長鎏(ファン・ジャンヨプ)元労働党書記は回顧録で、「金正日は北朝鮮人民を無慈悲にも飢えさせ、全国を監獄にした民族の反逆者だ」と指摘した。

90年代半ば、大洪水と飢きんで北朝鮮体制が存亡の危機に立たされた時に、金総書記は先軍を旗印に掲げ、核兵器の開発に乗り出した。米国の侵略から共和国(北朝鮮)を守るという口実を並べ立てたが、実状は金氏世襲王朝を支えるためのあがきだった。米下院外交委員会・アジア太平洋小委員会のドナルド・マンズーロ小委院長は、金総書記を「悪の典型(epitome of evil)」と呼んだ。

分断後、天然資源や重工業設備の面で韓国より比較的優位にあった北朝鮮は、金氏親子のいわゆる「自立的民族経済」路線のために世界で最も貧しい国に転落した。国家経済力は、韓国の37分の1、1人当たりの所得は20分の1に落ち、住民は慢性的な飢餓に苦しんでいる。子どもの平均身長は韓国より20センチも低く、体重は10キロ以上も軽い。彼ら自身をこのような状況に追い込んだ金総書記を仰ぎ見て、代々忠誠を誓う北朝鮮住民が21世紀の世界の発展を知ることになれば、どんな反応を見せるだろうか。

金正日政権は、北朝鮮を地上の楽園だと宣伝したが、現実は正反対の人権の地獄だった。脱北者のうち約2万3000人が韓国に来た。今この瞬間も数十万の脱北者が中国や東南アジア一帯をさまよっている。国境を越えて中国に進入した住民に引き金を引く集団が金正日殺人政権だ。

金日成主席は、韓半島全域の共産化に向けて、南北合わせて122万人を死に追いやった韓国戦争を起こした戦犯だった。戦争で生じた1000万の離散家族は癒されることのない悲しみを抱きながら生きていかなければならなかった。戦犯の息子、金総書記も同族に対する集団テロを止めなかった。83年10月、ビルマのアウンサンで大統領を狙ったテロを行い、閣僚ら17人を殺害した。87年11月には大韓航空858便を爆破し、搭乗者115人全員の命を奪った。これでも足りず、昨年には、哨戒艦「天安(チョンアン)」を沈没させ、韓国領土の延坪島(ヨンピョンド)に武力挑発を行った。代を継ぐ戦犯だ。

金総書記は、北東アジアの平和を脅かし、大量殺害を招く核兵器を遺産として残して逝った。しかし、核を放棄し、改革開放に進むことだけが、北朝鮮が生き残る道だ。ソ連も核がなくて滅びたわけではない。

金総書記は、身の安全のために特殊防弾の専用列車に固執した。ロシアや中国の訪問の際も、数十日間、列車にこだわった金総書記が、専用列車で最期を迎えたことは実に皮肉な結果だ。金総書記の死去は、反人倫体制終息の出発点にならなければならない。北朝鮮が、金正日式恐怖独裁体制を固守していては未来はない。独裁体制は必ず崩壊する。今年、中東と北アフリカを強打した「ジャスミン革命」で確認したように、それが歴史の道理だ。韓半島に新しい歴史が始まる可能性が開かれた。統一を操り上げることだけが、北朝鮮住民の苦痛を和らげ、韓半島と北東アジア地域の平和を定着させる道だ。