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[社説]「教科書検定権、偏った見解を取り除く権限を有す」

[社説]「教科書検定権、偏った見解を取り除く権限を有す」

Posted August. 17, 2011 07:06,   

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ソウル高裁は16日、金星出版社の韓国近現代史教科書に含まれた左寄りの記述について下した教育科学技術部(教科部)の修正命令が適法だという判決を下した。昨年9月の「教科用図書審議会の審議手続きを経なかったため、修正命令は違法だ」という一審の判決を覆すものだ。二審では、関係規定上、修正命令は検定手続きとは違って、審議会の審議を経るよう規定していないため、手続き上瑕疵はないと判断した。教科書の執筆者らも、出版契約当時、教科部の修正指示がある場合に従うということで同意した。

二審が、「国家は、検定申請図書の内容が生徒の水準に適切なのか、偏った理論・見解・表現を含んでいたり、国家の体制や正統性を否定していないか、審査できる」と判断した内容は注目に値する。これは、歴史教科書がこの地で生きていく未来の世代に大韓民国の正統性と憲法的価値をもとに歴史的真実を教えなければならないという点を強調したのだ。国史教育は、学問としての国史学科とは異なる。歴史、特に国史教育の目的は、国家の正統性の確認と愛国心の育成を含んでいる。教科書の内容が教育目的に合うよう修正するために積極的に審査権を行使することは、国家の当然の権利だ。

問題になった金星出版社の教科書には、「李承晩(イ・スンマン)政府の時に親日派の清算ができず、民族精神にもとづいた新しい国の出発は水泡に帰した」、「北朝鮮は、無償没収、無償分配、土地改革が韓国の農地改革より農民に有利だった」といった偏った内容が含まれている。教科部が指摘した29項目の修正指示は、正常な歴史観を持つ人にとって、理解できない表現や不明瞭な記述、歴史的真実とはかけ離れた一方的な主張をそのまま記載したことに対する最小限の指摘だ。二審も、「教科部の修正命令は裁量権の範囲を出ていない」と判断した。

教科書の執筆は、個人の表現の自由とは厳格に区分される。今回の二審判決は、個人的な表現の自由が政治共同体の目的よりも優位にあると考える時流にブレーキをかけたという点でも、意味を見いだすことができる。植民地支配から解放された最貧の国が、同族間の争いである対韓国侵略戦争を経験したにもかかわらず、民主化と産業化を同時に成し遂げたことは、世界がうらやむ成功ストーリーだ。歴史教科書を執筆する人々は、偏った価値意識を越えて共同体の存在意義が十分に含まれた内容を記述しなければならない。教科部は、2013学年から生徒に配布される近現代史教科書に対しても、積極的な審査権を行使することを望む。