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「30年前に父の気持ちと重なる」 趙亮鎬会長が語る五輪招致の喜び

「30年前に父の気持ちと重なる」 趙亮鎬会長が語る五輪招致の喜び

Posted July. 18, 2011 08:48,   

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父親と息子は30年の時差を置いて、韓国に「五輪招致」という大きなプレゼントをもたらした。経営者の根気で、国際スポーツ界の票心を集めた結果だった。

81年9月30日、ドイツ・バーデンバーデンで開かれた国際五輪委員会(IOC)総会。サマランチIOC委員長は封筒を開き、「ソウル」と発表した。88年の夏の五輪の主人公がソウルに決まった瞬間、韓国代表団90人は歓呼した。その中に趙重勲(チョ・ジュンフン)韓進(ハンジン)グループ創業者(1920〜2002)がいた。ソウルは遅れて招致戦に飛び込んだが、52票を得票し、日本・名古屋(27票)に逆転勝ちした。

そして30年後。故人の長男が再び奇跡をもたらした。趙亮鎬(チョ・ヤンホ)平昌(ピョンチャン)冬季五輪招致委員長(62=韓進グループ会長)は6日夜、南アフリカ共和国ダーバンのIOC総会で明るく笑った。ジャック・ロゲIOC委員長は、「平昌2018」が書かれたメモを広げて見せた。平昌が「三浪」して偉大な勝利を収めた瞬間だった。

趙委員長の勝利は感動のドラマだった。平昌は、冬季五輪招致に2度失敗した。連続3度挑戦して成功した国はなかった。ドイツ・ミュンヘンは、次期IOC委員長を狙うトーマス・バッハ招致委員長がIOCに強大な影響力を行使した。趙委員長は「静中動」を維持した。09年9月に平昌招致委の首長になった後、IOC委員が集まる場所ならどこへでも駆けつけた。計50回にわたる海外出張で64万キロメートルを移動した。地球を16周する距離だった。そして、IOC総会で95票のうち63票を獲得した。ミュンヘンは25票にとどまった。

15日午後、ソウル西小門洞(ソソムンドン)の大韓航空本社で趙委員長に会った。趙委員長は、「ソウル五輪を招致した父の気持ちが今になって分かるようだ」と話し始めた。

——父親に続き五輪招致を果たした感想は…。

「88年、ソウル五輪招致が決定した日、米ハーバード大学経営者課程を研修中だった。父は、バーデンバーデンから電話をかけてきて、『ソウルになった』と知らせた。父に続いて国家に奉仕するという思いで一心に走り続け、五輪招致に成功した。満足感で一杯だ」

——五輪招致に成功した直後、東京に行ったが…。

「アジア五輪評議会(OCA)総会で、約20人のIOC委員に会って感謝のあいさつをした。ロゲ委員長は、成功的な2018年冬季五輪に向け、招致委が組織委まで連続性を持って準備するよう頼んだ」

——最近、一部で韓国と北朝鮮の共同開催の主張が出ているが、IOC側の反応はどうか。

「平昌は、すべての競技場を30分以内に移動できるコンパクトな施設でIOC委員の支持を得た。ミュンヘンは、招致戦終盤に『韓国は約束を守れない可能性がある』と問題を提起した。しかし、李明博(イ・ミョンバク)大統領が、現地で平昌の約束を保証すると強調し、勝利を導くことができた。ところで、一部で韓国と北朝鮮の共同開催の主張が出ているので、IOCの立場上、心配せざるを得ないだろう。何より約束を守ることが重要だ。招致委の計画を組織委が忠実に守らなければならない」

——平昌がライバル候補都市ミュンヘンを破った原動力は何か。

「政府と企業、全国民の支援のおかげだ。李大統領は、平昌招致のためにダーバンで1日2〜3時間、英語のレッスンを受けた。李健熙(イ・ゴンヒ)IOC委員(三星電子会長)や朴容晟(パク・ヨンソン)大韓体育会長、金振先(キム・ジンソン)招致特任大使は、多くの人に会って招致を訴えた。GSやSTX、高麗製鋼などの企業も大きな助けとなった」

——IOC総会最終プレゼンテーションは感動のドラマだったという絶賛を受けた。

「金姸兒(キム・ヨナ)は必勝カードだった。カナダで長く訓練し、英語に慣れていたが、ダーバンでナ・スンヨン報道官のアドバイスを受け、発音とジェスチャーまで徹底的に補完した。文大成(ムン・デソン)IOC委員は台本を何度も読んで暗記した。五輪金メダリストは、やはり特別なところがあるということを感じた」

——平昌が得た63票は歴代最多の得票だが…。

「国際コンサルティングの専門家や映像ディレクターを迎え、地方都市・平昌を洗練した都市に生まれ変わらせた。平昌をアジアの冬のスポーツのハブにするというスローガン『新しい地平』が共感を得て、IOC委員の浮動票を引きつけた。特に李大統領は、IOC委員一人ひとりに対してあいさつした。演説で、「私も世界水泳連盟副会長を務めたオリンピア・ファミリーだ」と述べ、政府の支援を約束すると、IOC委員がうなづいていた」

趙委員長は、企業最高経営者と五輪招致委員長は似ていると言った。すべての事案に対して、国際的な感覚とマーケティング、交渉能力を持って、顧客(IOC委員)の要求に合わせた商品を作ることを総括する立場だということだ。

——最近、平昌冬季五輪組織委員長に誰がなるのかが話題だが。

「組織委員長は政府が決めることだ。ただ、IOCとの緊密な交渉とスポンサー問題などを解決するためには、スポーツ専門家よりも専門経営者が必要だ。東京で会ったIOC関係者たちは、『趙委員長が政策の連続性のために、織委にいることが自然ではないか』と言った」

趙委員長に組織委員長を務めたくないかと再度尋ねると、「個人的な欲よりも国家的な信頼を守らなければならない。周囲で認めてくれるなら光栄だ」と言って笑った。

趙委員長は、7年後には、平昌が夏にはゴルフ、冬にはスキーとスノーボードを楽しむ国際観光都市になっていると語った。そして、「韓国はソウル五輪を基点に開発途上国から中進国になった。2018年冬季五輪は、先進国にグレードアップする転換点になるだろう」と話した。



beetlez@donga.com