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[オピニオン]キリング・フィールド裁判

[オピニオン]キリング・フィールド裁判

Posted June. 29, 2011 08:44,   

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キリング・フィールドは、カンボジアで1975年から79年、政権に就いた急進共産主義勢力「クメール・ルージュ(赤いクメール)」が住民を集団虐殺した場所だ。キリング・フィールドは1ヵ所ではない。米イェール大学の調査チームは、約2万ヵ所の共同墓地を調査し、138万6734人の犠牲者を確認した。カンボジアの記者ディス・プラン氏は、クメール・ルージュに捕まってタイへ脱出する際、腐乱した死体から臭気が漂うキリング・フィールドの残酷な現場を目撃した。プラン氏の体験が本や映画化され、キリング・フィールドの惨状が世界に伝えられた。

◆クメール・ルージュは政権を取ると、工場、病院、学校を全て閉鎖した。眼鏡をかけていたり、手が白いという理由だけで知識人と見なされて処刑された人が一人や二人ではない。クメール・ルージュは、大人は資本主義に染まっていると考え、子どもを新しい世界の主役にした。子どもを両親から引き離し、クメール・ルージュに従わない者は敵だと洗脳した。子どもに拷問する方法を教え、大人の拷問や殺害に利用した。

◆米国の代表的な左派知識人のノーム・チョムスキー氏は、クメール・ルージュを擁護したことで有名だ。チョムスキー氏は「虐殺は政府が意図した結果ではなく、復讐心に満ちた農民や統制を離れた軍人による蛮行だ」と述べたが、実はクメール・ルージュが計画していたことが明らかになった。クメール・ルージュのナンバー2のヌオン・チェア(85)をはじキュー・サムファン(79)、イエン・サリ(85)、イエン・タリトゥ(79)ら4人の反人倫犯罪に対する裁判が27日、カンボジアの首都プノンペンで始まった。ドイツ・ナチスの戦犯を断罪したニュルンベルク裁判以来、最も注目される裁判と言われている。クメール・ルージュのナンバー1だったポル・ポトは、98年前後に投降したが、カンボジア政府の黙認の下、裁判を受けずに死亡した。

◆キリング・フィールド裁判は、虐殺から30年以上経って行われる。反人倫犯罪には時効がない。国際刑事裁判所(ICC)は、デモをする民間人を虐殺したリビアのカダフィ大佐に対し、逮捕令状を発行した。北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記は、2つの状況を見守りながらドキドキしていることだろう。北朝鮮には今でも15万人が政治犯収容所で、クメール・ルージュ治下に劣らない虐待を受けている。90年代中・後半には、北朝鮮住民数百万人が餓死した。

宋平仁(ソン・ピョンイン)論説委員 pisong@donga.com