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[オピニオン]金𨛗鎮長官の臥薪嘗胆

Posted June. 28, 2011 08:00,   

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中国の春秋戦国時代、越王勾践に父親を殺された呉王夫差は、父親の死を忘れまいと薪の上で寝た。いわゆる「臥薪」だ。夫差は、自分の部屋に入ってくる人に、「父を殺した勾践を忘れるな」と叫ぶように言い、「必ず復讐する」と答えた。これを知った勾践は先手を打ったが、復讐を誓った夫差に敗れた。夫差の臣下となった勾践は、越に戻り、苦い胆を嘗めることで屈辱を忘れないようにした。勾践は敗北から18年後、夫差をひざまずかせた。

◆ラムズフェルド元米国防長官は、執務室の机のガラスの下に、韓半島の夜間衛星写真を敷いた。明るい韓国とまっ暗な北朝鮮が比較されるこの写真は、同じ民族であっても理念と体制によってどれほど変わり得るかを示す。ラムズフェルド長官は、「私は毎日この写真を見て、韓半島問題を考える」と語った。ピーター・ペース元米合同参謀議長は、執務室の机の上に初めてベトナム戦争で戦死した部下の写真を置き仕事をした。机の上の写真は、切実な希望と確約の象徴だろう。

◆金𨛗鎮(キム・クァンジン)国防部長官の執務室の壁には、北朝鮮の金英春(キム・ヨンチュン)人民武力部長と金格植(キム・キョクシク)4軍団長の写真がかけられている。延坪島(ヨンピョンド)砲撃直後に就任した金長官にとって、北朝鮮の国防部長官格の金英春部長は「敵将」とうわけだ。西海(ソヘ・黄海)の北方限界線(NLL)担当の金格植団長は、延坪島砲撃と哨戒艦「天安(チョンアン)」沈没を主導した張本人だ。金長官と金格植団長は、それぞれ3軍司令官と北朝鮮2軍団長、合同参謀議長と北朝鮮軍総参謀長として、休戦ラインの両側で対立した経歴がある。

◆韓国と北朝鮮の間には、99年以降、5回の武力衝突があった。ほとんどが北朝鮮の奇襲で始まり、戦績は2勝2敗1引き分け。99年の第1次西海交戦で敗れた北朝鮮は、02年の第2次西海交戦で雪辱戦をしかけた。09年に北朝鮮は、NLL侵犯で起こった大青(デチョン)海戦で敗北を喫した。韓国が完敗した10年3月の天安艦沈没は、北朝鮮の大青海戦の敗北に対する報復と見ることができる。昨年11月の延坪島砲撃は、勝敗を判断することは難しい。金長官にとって金英春部長と金格植団長の写真が、「北が挑発すれば徹底的に報復する」という決意を新たにする「薪」と「胆」になることを願う。

権順澤(クォン・スンテク)論説委員 maypole@donga.com