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「悪縁だったが、冥福を祈る」金嬉老事件旅館の女将望月さんが思い語る

「悪縁だったが、冥福を祈る」金嬉老事件旅館の女将望月さんが思い語る

Posted March. 29, 2010 07:56,   

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「もはや、全て終わったことです。故人となった金嬉老(キム・ヒロ、別名=権嬉老)さんの冥福を祈ります」

1968年2月、「金嬉老による人質事件」の被害者だった日本寸又峽の温泉地域、ふじやま旅館の女将である望月英子氏(72、写真)は27日、東亜(トンア)日報のインタビューに、勇気を出して応じた。望月氏は、「金氏の突然の死亡ニュースを耳にしてびっくりした」と言い、「悪縁ではあったけど、天国で平穏に暮らすことを祈る」として、憐憫を情を示した。望月氏は、権嬉老氏が帰国後、苗字を変えたことが分からないのか、インタビューの間中、「金嬉老氏」と呼んだ。

望月氏が東亜日報のインタビューに応じるまでには曲折もあった。権氏が死亡した26日午前から、日本のメディアからのインタビュー要請が殺到すると、旅館の門を閉めたまま、行方をくらました。その翌日も営業を行わなかったが、望月氏は「韓国から来た記者だ」という言葉に口火を切り始めた。

望月氏は、「いやおう無しに、私の人生の半分以上を金嬉老事件と一緒に暮らしてきたことになる」と言い、「40年余りが過ぎた出来事を、いまさら口にしたくはない。もはや全て終わったことだ」と、気持ちを打ち明けた。権氏が韓国に戻った後のいかがわしい事件も耳にしたようだった。「金氏が帰国後、幸せな余生を暮らすことを願ったが、そうでもなかったらしく、残念だ」と話した。

韓国内での権氏を巡る見方が、人とは相当違うことを気にしている様子だった。

望月氏は、「当時、その事件を民族差別や日韓間の歴史問題と解釈する見方も多かったと聞いている」と言い、「しかし、私にとっては5人の家族や8人の客が生死の恐怖におののいた個人的な出来事でもある」と話した。そのうえで、「うちの家族5人は、その時の出来事を忘れるために、数え切れないほど多くの努力を傾けてきた。家族の誰もがその以降、そのことを口に出したことがない」として、これまでの辛い思いを語った。

当時の状況を尋ねる質問には、「時間が多く経ったものの、今も当時を思い浮かべると、怖くて手足が震える」と話しながら、話の途中、当時の辛い思いが浮かんだのか、首をすくめたりもした。

望月氏は最近、旅館内に当時の事件に関連した記事や写真を集めて、一室で展示している。「旅館を訪ねるお客様の中では、金嬉老事件について聞く人が多く、あのような事件が忘れ去られてはならないという周りの勧めもあって、写真などを展示している」と話した。



changkim@donga.com