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[社説]ベルリンの壁崩壊20周年に見る韓半島

[社説]ベルリンの壁崩壊20周年に見る韓半島

Posted November. 09, 2009 09:06,   

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20年前の今日、東西ドイツを遮っていたベルリンの壁が崩壊した。東西ドイツの国民は抱き合い、一つになった。東西ドイツは翌年の10月3日、夢に描いた統一国家ドイツに生まれ変わった。ベルリンの壁の崩壊は、欧州全体に地殻変動を起こし、ドミノのように続いた東欧各国の民主化を経て、91年の旧ソ連の解体で頂点に達した。英国の歴史学者エリック・ホブズボームは、1914年の第1次世界大戦の勃発で始まった「極端な時代」が終わったと規定した。

世界で唯一、冷戦の産物である分断の苦しみを今でも負っている韓国は、ベルリンの壁崩壊20周年を迎え、格別な思いに浸らざるを得ない。韓国はなぜ統一を達成できなかったのか。そして、果たして韓国と北朝鮮の統一はいつ可能なのか。

ベルリンの壁崩壊20年、統一19年は十分ではないが、ドイツは深く大きな分断の傷を治癒しつつある。ドイツのハレ経済研究所(IWH)は、旧東ドイツ地域の1人当たりの国内総生産(GDP)は91年の旧西ドイツ地域の33%にすぎなかったが、現在70%に成長し、10年後には80%に達すると見通した。旧東ドイツの住民は、分断時期に奪われた自由と人権を享受し、先進国ドイツの国民として今日を生きている。東西ドイツの統一後、旧東ドイツ地域の再建のために1兆3000億ユーロ(約2260兆ウォン)が投入されたが、結局はドイツの発展のための投資であり、分断が続いた場合に投じられた機会費用と比較すれば、はるかに価値ある支援だった。東西ドイツの統一は、突然のプレゼントであり、未来に備えた着実な準備が成し遂げた結実だった。東西ドイツの指導者の誰も、東ドイツ住民の西ドイツ自由通行許可がベルリンの壁の崩壊と統一につながると予想していなかった。しかし、コール首相(当時)は、統一に反対する旧ソ連や英国、フランスを説得して、大業を成し遂げた。

東西ドイツが人的交流と協力を通じて、同じ民族という認識を受け継いできたことも、統一の踏み台になった。統一前までに、500万人の東ドイツ人が西ドイツに移住し、50万人の西ドイツ人が東ドイツに生活の基盤を移した。書信や電話が許可され、東ドイツの住民は西ドイツのテレビを視聴し、西ドイツの人々との共感を広げた。西ドイツとの交流は、東ドイツ住民の意識水準を高める決定的な契機となった。東ドイツの住民たちは、思想の自由、情報への自由な接近、自由旅行などを求めてデモも行った。

東西ドイツの統一の過程には南北統一のための教訓が含まれているが、韓国は少しの間しか関心を傾けなかった。盧泰愚(ノ・テウ)、金泳三(キム・ヨンサム)政府の時、「韓民族共同体統一案」、「民族共同体統一案」が発表されたが、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府になって、対北朝鮮政策が優先され、統一議論は姿を消した。

韓半島統一をとりまく環境はますます混乱している。北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記は、3代世襲をたくらみ、核武装カードで世界と対決している。2400万の北朝鮮住民は、独裁権力の洗脳対象に転落しただけでなく、毎年飢えに苦しみ、生きるために必死にならざるを得ない不憫な身となった。90年代初め、韓国が北朝鮮に比べて6〜8倍だった所得格差は、現在38倍に拡大し、統一が実現する場合、財政負担が心配される。

韓半島統一も予期せぬある日突然起こる可能性がある。旧東ドイツの最後の首相だったロタール・デメジエー元首相は、メディアのインタビューで、「北朝鮮が突然崩壊を迎える場合、韓国は深刻な問題に直面することになるだろう。逆説的に、韓国が脱北者の急増を防ぐために、新しい壁を作るかもしれない」と話した。着実な準備と対応が後遺症とコストを最小限に抑える近道だ。今、韓国と北朝鮮の国民総所得(GNI)の格差は38倍であり、輸出額は384倍で、東西ドイツの経済格差とは比較にならない水準だ。時間が経てば経つほど、その格差は広がっている。北朝鮮が経済を発展させ、住民の生活を解決するには、窮極的に平和的統一へ進む道しかない。