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[オピニオン]チョン・ジェギュの夢

Posted June. 08, 2009 08:38,   

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南極を初めて発見した人物はジェームズ・クック船長だが、この大陸に足を踏み入れることはできなかった。1773年1月、探査や地図作成のための航海で、クックは南極に接近したが、流氷と酷寒であきらめざるをえなかった。1年後、クックは大陸160キロの地点まで入っていったが、やはり後退せざるをえなかった。航海日誌によると、どれほど寒かったのか、船からくぎが抜けたという。しかし、クックは、広大な氷の地域が海ではなく大陸だとは夢にも思わなかった。

◆当時、氷を割る碎氷船(icebreaker)があったなら、歴史は変わったことだろう。最初の蒸気砕氷船は、1837年、米フィラデルフィア市が製作した「シティ・アイス・ボート・ナンバーワン」だった。しかし、沿岸の小さな氷を割る船だった。前人未踏の南極大陸が、石油と鉱物資源の宝庫であることが明らかになり、大国間で探査競争に火がついた。そのため、砕氷船に対する需要が高まった。ちゃんとした砕氷船は、第2次世界大戦中に米国が4隻建造し、1959年には旧ソ連が、原子力で運航する砕氷船「レーニン号」を造った。

◆韓国は、世界1位の造船大国だが、砕氷船ではリードできなかった。海が凍らないため国内の需要がなく、フィンランド、ノルウェーのような砕氷船大国に追いつくことは容易ではなかった。しかし、南極で各国間の探査競争に火がつき、事情は変わった。南極基地を持っていても、性能のすぐれた砕氷船がなければ、研究および探査活動が限界にぶつかるほかない。韓国は88年、南極に世宗(セジョン)基地を設置したが、これまで研究に必須な砕氷船が一隻もなかったのは、恥ずかしいことだ。

◆03年、南極の冷たい氷海が、ゴムボートに乗って仲間を救おうとした27才の研究員チョン・ジェギュ氏を飲み込んだ。砕氷船が一隻でもあったなら、このような悲劇は起きなかっただろう。チョン氏の果たせなかった夢を、韓国最初の砕氷船「アラオン号」が、8月の浸水を控え、最終点検を受けている。砕氷船は、船の前方の水タンクの水を後方に送り、船首が回るようにした後、強い重みで氷を打ち下ろす。船体についた氷片は、船を揺すって払い落とす。最先端科学技術が要求される高難度の船舶建造だ。「アラオン号」の航海をチョン氏が見守ってくれると信じる。

鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com