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[オピニオン] 用語戦争

Posted January. 23, 2009 09:40,   

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先の政権で、金信一(キム・シンイル)教育副首相は、「3不政策」という用語に不満を表わした。高校等級制、本試験、寄与入学制(寄付金などを納めた生徒が試験なしに入学できる制度で、定員に占める割合が決まっている)を許可しない「3不政策」を推進したが、世論調査をしてみると、「正しくない政策」という意見が多かった。金副首相は、その理由が、「大学が何もできないようにする」という用語の否定的イメージから始まったと考えた。その一つである「高校等級制」という言葉も、公正な表現ではない。

◆大学は、新入生を選抜する際、出身高校を考慮せざるを得ない。高校ごとに地域的特性があり、教育環境が異なる。学力の差もある。大学は、このような高校別の特性を反映させ、学生を選ぶことが望ましい。大学が持つ学生選抜権の一部と考えられる。しかし、教育当局が使った等級制という表現は、高校生の間で、「大学が学生を牛肉のように扱う」という冷ややかな反応を呼んだ。牛肉の品質によって等級をつけるように、学生を差別化する方式ということだ。

◆制度の善悪が、内容よりも用語で判断される事例は、教育分野だけでも多くある。「日帝考査」もそうだ。少なくからぬ40、50代は、学生時代、全校生徒に同じ日に試験を受けさせ、最下位まで順位を公開した日帝考査に対し、反感を抱いている。最近実施される「国家水準学業成就度評価」は、内容と趣旨がまったく異なるにもかかわらず、いわゆる進歩という左派勢力は、当時の悪夢を想起させる「日帝考査」というレッテルを貼り、批判に熱を上げている。

◆今年、中学・高校に導入される「レベル別移動授業」も似た境遇になる可能性がある。移動授業は、いくつかの主要科目で、生徒らが各自の実力に合わせ、上級クラス、中級クラス、下級クラスの異なる教室で勉強する方式だ。これを「優劣クラス」に追いやり攻撃する行為は、以前から続いている。しかし、英語はよくでき、数学ができなければ、英語の授業は上級クラスで、数学は中・下級クラスで学ぶのが、生徒一人一人にとって望ましい。生徒を2つに分けた優劣クラスとは異なる。成績が良い生徒より、そうでない生徒の数が多くならざるを得ない教育現場で、差別化を攻撃する扇動は、簡単に受け入れられる。現実がこうでは、教育当局は、「用語戦争」に押され、政策を安着させることはできない。少なくとも、客観的な用語が定着するように対処する必要がある。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com