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[社説]破壊が専門の民主党、もうろうとしたハンナラ、苦しむ国民

[社説]破壊が専門の民主党、もうろうとしたハンナラ、苦しむ国民

Posted January. 08, 2009 05:35,   

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国会が、約20日間の無法地帯の末、正常化したが、国家と国民に及ぼした損失は莫大だ。民生法案の処理が遅れ、誰よりも国民がさらに苦しくなった。経済回復の核心法案は、処理自体が不透明になり、政府の経済政策の運用に支障が来たした。その上、今回の与野党合意は一時しのぎにすぎず、いつまた衝突と空転が再演されるか分からない。

世界的な経済危機の出口になるかもしれない韓米自由貿易協定(FTA)批准同意案は、漠然と「米国のバラク・オバマ政権発足後」に論議が持ち越され、銀行法、金融持株会社法など、金産分離緩和法案も、処理時期が明示されなかった。産業銀行の民営化、住宅公社と土地公社の統合、5プラス2広域経済圏開発などの主要法案も、2月の国会で合意処理に努めることで一致しただけで、実際の審議では、修正または処理が先送りされる恐れがある。

輸出の大幅減少に加え、マイナス成長が現実化しつつある状況で、国会の法案処理の先送りは、金融システムの整備を遅らせ、企業の破産と不良債権の増大に向かう可能性が高い。予算付随法案の処理が遅れたことにより、政府が予告していた財政支出の計画まで機を逸し、効果を出せない恐れがある。メディア産業の競争力の強化に必要な法案も、「早期の合意処理に努める」という曖昧な合意文に埋もれてしまった。

何よりも深刻な後遺症は、議会政治の基本が崩れたという点だ。神聖な議事堂に、ハンマーや電気ノコギリを持ち込み、格闘技選手顔負けの乱闘劇まで起った。野蛮な時代になら通用する少数の暴力、不法、ごり押しの前に、憲法が保障する多数決の原則はひざまずいた。立法の殿堂が、無法のジャングルになった。これから誰に法治を語るのだろうか。

民主党は、占拠を終え本会議場前で、笑顔の記念撮影までした。「強い野党」の面貌を見せることで、対与党闘争で勝利したということだ。しかし、民主党は、戦闘では勝ったかもしれないが、戦争では敗れたことを自覚しなければならない。民主党の無理強いと不法、暴力の前に、多くの民心は背を向けたためだ。

激しい闘争は、表向きは、丁世均(チョン・セギュン)代表が率いたが、実質的には386出身の再選クラスの議員らが主導した。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代、ヨルリン・ウリ党のアイデンティティを象徴した彼らは、激しい街頭闘争で鍛えられた暴力性を遺憾なく発揮した。盧武鉉政権の葛藤と混乱、非効率がすでに証明されたように、彼らはやはり生産、創造、建設よりも、破壊することに専門性があることを見せつけた。

ハンナラ党は、定期国会を控え、「経済回復、国家正常化立法」と言い、争点法案を年内に必ず可決すると大口をたたいたが、何も成し遂げることができなかった。172議席の「巨大与党」が、82議席の民主党に終始振り回された。朴熺太(パク・ヒテ)代表や洪準杓(ホン・ジュンピョ)院内代表ら指導部は、緻密な戦略戦術も、所信も、勇気もなかった。にもかかわらず、誰も責任を負う者がいない。車明進(チャ・ミョンジン)広報担当だけが、「白旗投降」の責任と自戒の念で辞表を出しただけだ。

ハンナラ党の戦略不在は、昨年4月の総選挙公認を含め、政権の設計から誤ったためだ。党代表の器がおらず、公認で脱落した人を代表にしたことが端的な例だ。公認を主導した李在五(イ・ジェオ)、李方鎬(イ・バンホ)氏の責任が依然として大きい。党の主流という「親李明博(イ・ミョンバク)」系も、今回の事態では何の役割もできず、「親朴槿恵(パク・グンヘ)」系は、手をこまねいていた。与党だと言って、手を汚さないという卑怯な論評家だけが力を得た。大統領選の勝利の戦利品を得ようと、血眼になった姿とは対照的だった。

国政の最高司令塔である大統領府も、変化した国会と党政関係についての正確な認識がなく、「ハンナラ党が勝手にしろ」といった具合に、一貫して政務能力の不在、政治力の貧困を現わした。大統領は、「国会が助けてくれればいい」と言うだけで、法案の切迫さを国民に訴え、与野党議員を説得する誠意を示すことができなかった。

野党が、代議民主主義を破壊し、国会を世界の嘲弄ネタにする間も、多くの大統領の参謀の中、民心収拾と状況突破のために立ち上がった人はいなかった。「スピード戦」云々と言った時の気概は、どこに行ったのか。このような「弱体セルブ」体質では、2月の臨時国会に持ち越された「2次立法戦争」でも、百戦百敗するほかなく、その弊害は、再び国民に戻ってくるだろう。