Go to contents

[オピニオン]市民の義務

Posted June. 30, 2008 03:04,   

한국어

市民は今日、すべての国家構成員を意味する言葉になったが、もともと差別の意味を持つ言葉だ。古代ローマには、市民権を持つ人が別にいた。ローマ市民たちは、参政権と一部税金を免除される権利を享受した。そのため、ローマが占領した地域の人々は、誰もがローマ市民になりたがった。しかし、特権だけがあるわけではなかった。むしろ、義務が強調された。ローマ市民が最も名誉だと考えたのは、自ら国を守ることだった。市民権者で構成されたローマ軍隊は、莫大な威力を発揮した。

◆ローマ帝国が没落した原因に、212年のアントニウス勅令を挙げる学者が多い。同勅令は、ローマ帝国に属するすべての属州の人々に市民権を付与することだった。属州から税金をさらに集めるための同措置は、ローマを守ってきた市民精神の衰退をもたらした。過去、属州の人々は、市民権を得るためにローマのために戦ったが、その動機が失われた。既存のローマ市民も、努力して市民の義務を果たす意欲を失った。国家構成員の間に、自分の国、自分の家族を守るという責任の意識が消えれば、国家の生存は約束できない。

◆ろうそくデモをめぐり、「市民」という言葉が溢れている。デモを主導する方が、主に市民を強調する。デモに参加する団体は「市民団体」と呼び、反対する団体は「保守団体」と呼ぶといった具合だ。一部メディアも、「警察が市民を過剰鎮圧している」と主張する。しかし、客観的な表現でないだけでなく、暴力を正当化する憂慮すらある。もちろん、政権の退陣を叫ぶ市民もありえるし、ろうそくデモに反対する市民もありえる。しかし、若い戦闘警察隊(日本の機動隊)に鉄パイプを振り回し、他者の生存権を侵害する者まで「市民」と呼んでいいものだろうか。

◆権威主義政権を経た韓国で、「市民」は抵抗の主体と認識されている。そのため、現在の時局を「国家と市民社会」の対決だと言う人もいる。しかし、社会秩序を憂い、共同体の安寧を憂慮する市民の義務も考えなければならない。韓国の未来は、自ら守らなければならない。他人は守ってくれない。どちらが本当に国を憂う「市民」なのかはっきりさせるのに、それほど時間はかからないだろう。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com